2014年06月07日

「神はあなたの苦難を聖別してあなたの益としてくださる!」

シクラメン01.jpg 私の中学の頃の先輩に心から尊敬するすてきな女性がおります。

 どのようなときでも笑顔を絶やさず、周りの方々への細やかな心遣いを自然な形で行いに示し続けるとても優しい方です。周りの方々の幸福そうな笑顔が、そしてそれをもたらすべく小さな親切の手を伸べることが、自身の一番の喜びと感じているようです。

 以下の助言を文字通り地で実践している二児のお母さんです。
すみれの花01.jpg「喜びを得るための鍵は、人のために奉仕することです。……自由意志とは、わたしたちが熱心に努め、自らの意志で意義ある奉仕の業を行なうための力です。」(ゴードン・B・ヒンクレー大管長)

 いつも明るい笑顔を振りまく彼女ですが、様々な人生の厳しい憂き目を何度となく味わってきました。口に尽くせない辛い挫折を幾度となく経験してきたのです。でも持ち前の明るさと笑顔を決して失うことなく、その度に失意のどん底から這い上がってきました。

白百合01.jpg それらすべてに追い打ちをかけるように2番目の息子がダウン症で生まれたときにもそうでした。

 一時期は、障害を持つ夫と共にお互いに自分自身を責め、すっかり打ちのめされてしまいました。それでも主への祈りの中で顔を上げ、涙を拭いて、笑顔を取り戻し、黙々と奉仕活動に携わっています。2人の息子たちになお一層の愛情を注ぎつつ……。

 十二使徒のデビッド・A・ベドナー長老は次のように語っています。

金木犀01.jpg「主の憐れみはきわめて個人的です。それは主イエス・キリストから、主を通じて、一人一人の必要に応じた祝福、強さ、守り、確信、導き、愛と思いやり、慰め、支え、そして霊的な賜物として注がれます。主だからこそお与えになることができるのです。主はまさに『人の子らの状態に応じて憐れみを施』されます(教義と聖約46:15)。」

「救い主が一人一人のもとに来られる方法の一つは、主の豊かで深い憐れみによります。例えば、皆さんやわたしが人生で問題や試練に直面するときに与えられる信仰という賜物と、そのときに必要な自分の能力を超える自信は、主の深い憐れみを表しています。悔い改めや罪の赦し、良心の平安も、主の深い憐れみの一例です。また、物理的な限界や霊的な困難に直面するときに、忍耐と不屈の精神をもって元気に前進できるのも、主の深い憐れみによるものです。」

 彼女はまさにイエス・キリストの贖いを通じてもたらされる主の恵みに心癒され、主の深い憐れみにより力を得ていらっしゃいます。

 祈ること以外に何ら助けの手を伸べることの出来なかった私の思いは、C・S・ルイスのまさに次の言葉そのものでした。

鈴蘭01.jpg「私は非常な苦しみを受けている人々の中に、魂の大いなる美しさを見た。ほとんどの人々が、日を経るにつれて大きく成長していく。落ちていくのではない。そして遂にその苦しみが最悪の条件の中から不屈の精神、愛と素直な心という宝を生み出すのを見た。」

 彼女の人生は、次の聖句に象徴されます。

「さて、ヤコブよ、わたしはあなたに告げる。あなたは、わたしが荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子である。見よ、あなたは、……ひどい苦難を味わい、つらい思いをした。しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」(モルモン書2ニーファイ2章1〜2節)


 彼女は賢人たちの以下の言葉を骨の髄まで深く理解し、今日も同じように寒さに震える方々へ温かい励ましの手を差し伸べています。寡黙に異物の痛みに長く耐えつつそれを嘆くことなく美しい宝に変えるあの真珠貝のように……。
「真珠貝−異物を美しく貴い宝へ」

「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」(ホイットマン)
カキツバタ01「今日私が目にする最大の奇跡は、病める者の癒しではない。そうではなく、心に悩みを持ち、落胆し、取り乱し、挫折し、そしてその挫折する一歩手前にある人々への助けである。」(ハロルド・B・リー大管長)

 頭で理解していても、同じように行動するのは私たち凡人には簡単なことではありません。自分の至らなさや不甲斐なさに心沈むことしばしばです。

 でも差し伸べる温かい手をもっている人がこの世の中にいると知ることは、本当に大きな慰めとなり励みになります。

「神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」
(モルモン書2ニーファイ2章1〜2節)

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2014年06月04日

「大親友の訪問−心の清い人は神を見るであろう!」

愛する子供たちへ

 今日は、沖縄の友人が分かち合って下さった「大親友の訪問」というすてきな心温まる物語を紹介します。皆さんも、きっとそのような大親友の訪問を是非受けたいと思うことでしょう。
教会堂01.jpg
 「大親友の訪問」

 ある日の昼頃、牧師は礼拝堂に誰か祈りに来ているかどうか、ちょっと覗いてみようと思い、礼拝堂の中に入っていきました。ちょうどそのとき、扉が開き、ひとりの男がやってきました。その男の顔に無精髭が伸びているのをみると、その牧師は眉をひそめました。

 彼のシャツは薄汚れており、上着はヨレヨレで擦り切れていました。男はひざまづき、しばらくの間、頭を垂れ、そしてすぐに立ち上がって出ていきました。

老人の祈り01.jpg その日以来、その男は毎日正午になると決まって礼拝堂に現われました。そして30秒ほどひざまづくのです。手には弁当箱とおぼしき袋を持って……。

「強盗にでも入る隙を狙っているのだろうか?」いぶかしく思った牧師はある時ついに男を呼びとめて尋ねました。

「君、ここで一体何をしているのかい?」

 彼は教会からやや離れた工場で働いていました。30分だけの昼休みを利用して、力と元気を得るために、毎日ここに祈りに来ていたのです。

祈りの手01.jpg「ほんのちょっとしかいられないんですがね、なにしろおいらが働いている工場はこの教会からはちょっと離れているもんで。ここにこうしてひざまづいてね、神さまにこんな具合に祈るんでさぁ。『神さま、これが言いたくてまた来ました。あなたさまがおいらの罪を取り除いてくださって以来、おいらはずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。あなたさまがおいらの大親友になってくださって、すごく嬉しいんです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないんですが、とにかく神さまのこと、毎日思っていますよ。だから、イエスさま、ジムです、顔出しに来ました。』」

 いらぬ疑いを持ったことを恥ずかしく思いつつ、牧師はジムにいいました。「そうですか。それは大変素晴しいことですね。これからもいつでも祈りに来て下さい。」

「さぁ、もういかなくちゃ。仕事に遅れちまったら大変だ。」

 ジムはにっこり笑うと大急ぎでその場を立ち去って行きました。牧師はジムがいつもするように、祭壇の前にそっとひざまづきました。こんなことをするのは初めてでした。彼の冷えていた心はときほぐされ、主の愛で満たされていくのがわかりました。頬を涙が伝うのもかまわず、彼は小さな声でジムの祈りを繰り返してみました。

「神さま、これが言いたくてまた来ました。あなたさまが私の罪を取り除いてくださって以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないのですよ。あなたさまが私の大親友になってくださって、すごく嬉しいのです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないのですが、とにかく神さまのこと、毎日思っています。だから、イエスさま、私です、顔を出しに来ました。」

1匹の羊01.jpg ある日の午後、牧師はまだジムがその日は来ていないことに気付きました。そしてジムが現われない日は何日も続きました。心配した牧師がついに工場へ行きジムのことを尋ねると、ジムは病気で入院していたのです。

 病院では医者や看護婦たちがジムのことを噂していました。彼には花はおろか、電話一本、カードの一通も送られてこない、見舞客も一人も来ない、それなのに、ジムはいつも笑顔で喜び一杯なのです。しかも彼の喜びは回りにいる人達にも伝染して、ジムが入院して以来、その病棟の雰囲気が一変してしまったのです。病院にかけつけた牧師は、ベッドに横たわっているジムのかたわらに立ち、言いました。

「看護婦さんたちはみんな不思議がっていますよ。付き添いも見舞いも全然ないのにあなたがいつも嬉しそうにニコニコしているから……。」

「看護婦さんたちは間違えているんでさぁ!まぁわからないのも無理はないですがね。毎日、昼になるとね、あの方が来て下さるんですよ。おいらの大親友のあの方が。牧師さんならわかるでしょう?あの方がね、ほらここ、ここんとこに座って、おいらの手を握ってね、こういうふうに言ってくれるんですよ。
イエス・キリスト03.jpg『ジム、これが言いたくてまた来ましたよ。私があなたの罪を取り除いて以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。私はあなたの大親友になってすごく嬉しいんです。私はあなたが祈るのを聞くのが大好きです。とにかくあなたのこと、毎日思っていますよ。だから、ジム、イエスです、顔を出しに来ました。』」■

 日々の生活の中で、主の訪れを霊の眼で見極め、主の声を霊の耳で聞き分けられたらどんなにすばらしいことでしょう。そして、ジムのように幼子のような清い心を心から得たいと望んでいます。(おやじより)

「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。」(マタイ5章8節)

最初の示現01.jpg「また、あなたがたがわたしの栄光にひたすら目を向けるならば、あなたがたの全身は光に満たされ、あなたがたの中に暗さがないであろう。そして、光に満たされるその体はすべてのことを悟る。それゆえ、あなたがたの思いがひたすら神に向いたものとなるように、自らを聖めなさい。そうすれば、あなたがたが神を見る日が来る。神はあなたがたにその顔を現すからである。それは神自身の時に、神自身の方法で、神自身の思いに従って起こる。」(教義と聖約88章67〜68節)



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2014年05月31日

「天に真っ直ぐに伸びる竹から学ぶ−魂の節」

 私は竹が大好きです。

 竹は天に向かって真っ直ぐに伸びます。どんなに強い風にあっても、風に身を任せ、大きくしなりながらもなかなか折れず倒れません。

 木の仲間であるにもかかわらず中身は空っぽ。でも、一見弱々しそうですが、釣り竿として使われていることからも分かるように強さは半端ではありません。 

 同じ太さであれば、その強さは普通の木の枝の比ではありません。

 いわゆる柔らかな強さです。柔和・謙遜な人の強さに似ています。

 いったい、その強さの秘訣はどこにあるのでしょうか。

 色々あると思いますが、私はその強さの鍵のひとつが「竹の節」にあると考えています。

 伸びる度に増えていく竹の節。その節こそがどんなに風に吹かれ曲げられても簡単には折れることのない強さの要であり基となっているのです。

 まさに、人生の苦難を乗り越えるたびに人の魂に深く刻まれ築かれる「不屈の精神」や「自信」、「あきらめず・投げ出さずにやり抜く力」のようなものです。

 私はそれを「魂の節」と呼んでいます。

 世知辛く厳しい今の世の中、でも厳しい毎日の生活の中で、御父の恵みを受けつつその「魂の節」を自らの内に増やせるならば、私たちは竹のように簡単に折れず倒れません。そして、真っ直ぐに力強く天に向かって伸びることができます。

 モルモン書の中で預言者エテルは次のように語っています。

「もし人がわたしのもとに来るならば、わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために、人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」(エテル12章27節)

 新約聖書の中でもパウロは次のように語っています。

「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(1コリント10章13節)

 この世で私たちが直面するあらゆる困難や試練、そして自らの内なる弱さは、私たちを決してつまずかせるものではなく、それらに耐える力と逃れる道を備えなおかつ強さを与えて下さる御父の御旨に柔和・謙遜に従う中で、自らの内に「魂の節」を作る助けとなり、実際に乗り越える能力を増し加える助けとなるものです。そして私たちを御父に近づかせてくれます。

 さらに、モルモン書の中でリーハイが息子ヤコブに語ったように、御父の豊かな恵みに与れるように助けてくれるのです。

「さて、ヤコブよ、わたしはあなたに告げる。あなたは、わたしが荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子である。見よ、あなたは、幼いとき、あなたの兄たちが乱暴なためにひどい苦難を味わい、つらい思いをした。しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」(2ニーファイ2章2〜3節)

 私は、難しい問題や壁にぶつかるとき次のように考えることにしています。

「『竹の節』のように、『魂の節』を作るチャンスがやって来た……!」




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2014年05月27日

「陶器師(匠)の心と技の結晶−有田焼」

 先週の月曜日から火曜日にかけて、会社の出張で佐賀県の有田町へ出かけました。今年の夏に予定されているアメリカや韓国、グァムの職員を招待して開催される職員会議の準備のための視察と調整が目的です。1週間続く会議の中で、外国から来られる職員の皆さんに1日だけ有田焼の陶磁器作りに挑戦して頂く予定です。その中で、日本の伝統文化に親しみ、相互理解と友好を深めてもらおうと計画を進めています。

 重要無形文化財十四代目酒井田柿右衛門さんの窯、展示場・参考館および倉島泰山窯等を訪問し、匠の技を堪能しました。その道を極めた匠の手になる作品に感動、感動、感動の連続でした。

 倉島泰山窯では、窯主の前田忍さんが親切にも作業場内を案内して下さり、作品の作成工程を詳しく丁寧に説明して下さいました。                      
        倉島泰山窯の前田忍さん

 単なる土が、匠の手により均整の取れた美しい形に整えられ、心を魅了する色鮮やかな絵柄が描かれる中、新たな命を吹き込まれたすばらしい芸術作品へと生まれ変わっていきます。作品が窯から出される時は、まさに感動の瞬間です。しかし、それ以上に、前田さんの私たちをもてなす温かな心遣いと真心込めて質問に答える誠実さや優しさに感動を覚えました。そのような美しい心や人柄が、ひとつひとつの作品ににじみ出て、見る者の心を動かすのだと感じました。 

 それぞれの作品には、人の心を掴み、感動させるすばらしい魅力が秘められています。それは作品を作る匠の人間そのものの魅力でもあり、努力の顕現でもあります。そういう意味で、すばらしい作品のひとつひとつは、陶器師(匠)のまさに「心と技の結晶」です。

 聖書のイザヤ書には次のように記されています。

「主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。」(イザヤ18章6節)

「主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」(イザヤ64章8節)

 私たちは皆、私たちを無限の愛で見守り、養い育んで下さる「永遠の陶器師」−御父の御手になるわざです。私たちの魂を練り上げ、高みへと押し上げて下さる御父の教えを熱心に学び、その真理に基づいた教えを心から愛して御旨を実践する時、その御手に使われる器、すなわち人々をキリストのみもとへ導く器となることができると確信しています。そうあれるよう心から努めたいものです。

<有田焼>     〒844-0017
「倉島 泰山窯」   佐賀県西松浦郡有田町戸杓丙736
窯主:前田忍さん  TEL:0955-42-3556(代表)
             FAX:0955-42-5176



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2014年05月20日

「超純鉄−無限の可能性を秘めた奇跡の鉄」

 みなさんは「純鉄」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

「純鉄」とは錆の原因になる硫黄やマンガンをはじめ炭素や窒素、酸素などの不純物が0.5%未満すなわち純度99.5%以上の鉄のことをいうそうです。おもしろいことにこの「純鉄」は錆びにくいのです。

 インドのニューデリー市郊外のクトゥプ・ミナールと呼ばれている寺院の中庭には、紀元415年に建てられたと伝えられる高さ7.5メートル、重さ6トンの鉄の柱があります。驚くなかれ、その柱は15世紀もの間ほとんど錆びずに屋外に立っているそうです。

 この柱は純鉄製と言われていて、誰がどのような技術でこのような鉄を精錬し、大きな柱を造って建てたかは解明されていません。世界の七不思議の中に数えられています。そしてこの鉄柱の純度は99.72%ということです。

 さらに最近、不純物を完全に取除く純鉄の研究が進み、99.9999%の純鉄を造る技術が開発されました。この技術により造られた純鉄の化学的な性質は、私たちの鉄に対する常識を完全に覆すほどの特殊なものです。以下の通りです。

 1.白金のように輝き、大気中に1年以上放置しても錆びない。
 2.0.001モル濃度の食塩水に2時間浸した時、99.995%の鉄では錆びるが、99.999%の純鉄では錆びない。
 3.塩酸や硫酸にも溶けず、王水のみに少しずつ溶ける。
 4.非常に柔らかく、延性、展性にも優れ、加工性が高い。
 5.他の物質との合金による、新素材の可能性が非常に高く、無限の可能性を秘めている。

「鉄は強いが、錆びやすく酸にもろくも溶けてしまう」というのがこれまでの常識です。しかしながら、超純度の鉄すなわち本来の鉄は決してそうではないのです。

 私たち人間も、それぞれに沢山の弱さや欠点、弱点を身に負っています。消極的な思いで心が曇り、ふさわしくない行いで気持ちがふさぐこともあるでしょう。しかしながら、主の目に適わないすべての不純物を取り除くよう努め励み続けるならば、単なる「鉄」のような凡人の私たちでも、上記のような「超純鉄」の特殊な性質に比肩し得るすばらしい特質を手にし、まさに無限の可能性を引き出せるようになると確信しています。

 モルモン書の中で、モロナイは次のように語っています。

「まことに、キリストのもとに来て、キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み、勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば、神の恵みはあなたがたに十分であり、あなたがたは神の恵みにより、キリストによって完全になることができる。」(モロナイ書10章32節)

 モロナイの言葉は、私たちの内にある、神の御心に添わないすべての不純物・不信仰を一掃できるならば、人は純鉄のように内に秘められた恐ろしいほどの可能性を引き出し、伸ばし、開花させることができるという大きな希望を与えてくれます。

 純鉄のような自分になろうと努め励む時、私たちは以下のような徳質を自らの内に持てるようになることでしょう。

 1.白金のように喜びで顔を輝かせ、
 2.心の錆びすなわち心の衰えを少しも覚えることなくすべての事柄に積極果敢に取り組めるようになり、
 3.どのような艱難や苦難、試練にもくじけずに乗り越えて、
 4.主の御手に柔和謙遜に使われる器、練達した働き人として大いなる業を行えるようになり、
 5.文字通り、全能の神の息子娘として無限の可能性を引き出し、自他ともに祝福できるようになる。

 そして主を真に知るようになり、人生における真の成功と幸福、そして永遠の生命を得られるようになるのだと確信しています。

 みなさんは、この純鉄と同じように、自らがあの全能の神の息子や娘であり、その内に無限の可能性を秘めた存在であること、あらゆる事柄を知り、あらゆる奇跡を行い、不可能を可能に変えることの出来る御方の文字通りの子供であることを本当に信じていますか?

 私たちも主の助けを受け、それが主の御心であるなら、どのような不可能と思われる事柄でも可能に変える力を内に秘めていることを、そして信仰によってそれを現実のものとすることが出来ることを本当に信じていますか?

 信じていると思います。私もそのような確信をさらに深め、文字通り主の豊かな恵みに与れるよう心から努め励みたいと願っています。

 この地上に住むすべての人は、神から深く愛されている大切な神の息子・娘です。神はすべての息子娘が永遠の完全な幸福を得てほしいと切に望んでおられます。それ故にこの末日の世に黙示者ヨハネに示された永遠の完全な福音と神権をこの地上に回復されました。(黙示14:6〜7)すでに亡くなられた先祖の方々も含め、主を受け入れて、その教えに忠実歩むすべての神の息子・娘たちが神のみ元へ戻ることができるよう、必要な完全な真理を私たちに知らせるためです。

 私はすべての人々がこの回復されたイエス・キリストの完全な福音を知り、その真理に基づいた教えに従って永遠の幸いを得てほしいと心から切に願っています。

 以下のサイトで、回復されたイエス・キリストの教会について知ることができます。以下の画像もしくはテキストをクリックして下さい。

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2014年05月18日

「パパの時給−心洗う幼子の純粋な愛」

 愛する子供たちへ

 今日は、沖縄に住んでいた時の温かい思い出とお父さんが最近感動した1本の動画を紹介します。幼子の純真さや純粋な愛が人の心を洗うすばらしいお話しです。まずは沖縄での温かい思い出から……。

 ある日、三人の孫を預かったオバーが、ひとりの乳飲み子をだっこしています。

 3歳になるお姉ちゃんは、オバーを弟にとられたと思って自分もだっこしてくれるようにオバーにせがんでいます。ところが、二人を同時に抱きかかえられないオバーは困ってしまいました。

しばらくその様子を見ていた5歳のお兄ちゃんが、だだをこねるその妹を顔を真っ赤にしながらだっこしてあげたのです。

 妹は初めは不服そうにしていましたが、そのうちお兄ちゃんの首に腕を回し、ほっぺたをお兄ちゃんのほっぺたにくっつけて静かになりました。

 見ていた私自身も心を本当に強く動かされました。

 幼子の、親の求めに素直に従う純真さ、身内の気持ちを察して行動する純粋な優しさには、見る者の心を洗う大きな力があります。

 その時オバーが感じた気持ちは、私が感じた気持ち以上のものだったに違いありません。体の中のすべてが再新されるような、とても温かで、本当に誇らしい気持ちです。そしてそれは確かに、オバーの身も心も若返らせるまさに長寿の薬なのだと思いました。

「乳子も抱き 抱っこねだられ よわるオバー 面染め妹負う 吾孫誇らし」

 さて、次はこの5歳のお兄ちゃんを彷彿とさせるような、温かい気持ちを感じさせる動画です。感動で心が震えました。みんなにも分かち合いたいと思います。タイトルは、「パパの時給」です。

<「パパの時給」>


 幼子たちは、まさに天使です。その心の純真さゆえに、またその純粋な愛ゆえに、私たちの心を洗い清めるために御父が私たちに贈られた天よりの賜物です。聖書にも次のように記されています。

「そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。するとイエスは言われた、『幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である』。」(マタイ19章13〜14節)

「また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」(マタイ18章5節)

 このような幼子の持つ純真な心、純粋な愛の徳質を私たちも得て、いつも保てるように努め励みたいものです。(おやじより)

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2014年05月13日

「5つのあめ玉−父親の心を変えた幼子の純真さ」

 私たちが沖縄に住んでいた頃、自営業を営む一人の尊敬する先輩からいつも多くのことを学びました。

 今日は、その先輩の子供たちが幼かった頃の心温まるエピソードを紹介します。

 彼は、少し口げんかが多くなった幼い3人の息子たちに、兄弟が互いに仲良く何でも分かち合い協力できるようなより良い関係を育んで欲しいと願い、彼らを自分の元に呼びました。特に長男にひとつの課題を与えて考えさせ、それから一緒に話し合おうと考えていたのです。

 彼は長男に5つのあめ玉を渡し、それを兄弟3人で分けなさい、もちろんどのように分けるかはあなたに任せますと投げかけました。

 彼の予想では、長男はまず1個ずつを弟たちに与え、あとの3個を自分のものとするだろうから、それを踏まえて持論を展開するつもりのようでした。

 ……ところが結果は予想と全く違うものとなりました。

 その長男は少し考えた後、2人の弟にあめ玉を2個ずつあげて自分は残りの1個を本当に美味しそうに食べたのです。

 それを見ていた父親である先輩は、非常に感激し、彼の言葉を借りれば「自分の中の何かが非常に強く大きく変わるような感動を覚え、持っていたすべてのお菓子を長男にあげたい」と思ったようです。

 しばらくは理性で持ちこたえていましたが、結局は気持ちを押さえ切れず全部のお菓子を長男に渡し、兄弟3人で分けさせました。

 危うくこぼれそうになった涙を息子たちに見られないように必死にその場を取り繕いながら……。

 もちろんその後の予定していた彼の話もキャンセルです……。

 先輩はとても嬉しそうに次のように言いました。

「今回は息子に全く一本やられ、逆にこちらが学びました。まさに釈迦に説法でした……。」

 マタイの福音書には、次のように記されています。

「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか』。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。』」(マタイ18章1〜4節))

 純真な幼子の思いやりある小さな行為が、いかに人に感化を与えその心を動かす力を持つものであるかを改めて確認できた温かい話でした。

 幼子の持つそのような純真さをいつまでも持ち続けたいものです。

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2014年05月12日

「『才能』−自らの内なる可能性を信じる力」

 以前に西日本新聞の「アルガママニ」というコラムに、作家である辻仁成(つじ・ひとなり)氏の「才能」と題する記事が載りました。

「才能とは、ものごとを巧になしうる生まれつきの能力」との定義に異を唱えつつ、次のように記してありました。

「(『才能』とは、)『才能』という言葉の重圧の中で、現実を掴む努力を必死にやり遂げた人に、後から付けられる冠のようなものじゃないかと思う。……言えることはただ一つ、尽きぬ努力と自分を信じることの先にこそ才能があるということであろう。……『才能』という言葉に振り回されて、実は多くの人が、その人の中に眠っている鉱脈を発見できずに諦めたのではないか、と私は想像する。……だから、私は諦めない、と自分に言い続けて生きてきた。」

ゴーリキー01.jpg 本当にすばらしい考え方、そして生き方だと感銘を受けました。ロシアの作家ゴーリキーも、次のように語っています。

「才能とは、自分自身を、自分の力を信ずることである。」

 また、アメリカの実業家ジョージ・ジンは次のように語っています。

「自分を信じるというのは、 わかりきっていることのようだが、自分にしかできないことである。他人はそれを助けてくれるかもしれないが、信じるのはあくまでも自分自身である。」

 自分自身が、文字通り神の息子・娘であり、その内に無限の可能性が秘められていると信じることは、真の成功の鍵であり、この地上で最も重要な真の幸福を得る鍵のひとつだと思います。ドイツの文豪ゲーテも次のように語っています。

ゲーテ01.jpg「現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。しかし、人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう。」

 これは、私たちの周りにいる人々の真の成長を助ける鍵としての名言だけでなく、私たち自身を信じる、すなわち私たち自身の内に秘められた神の子としての可能性と神の属性を信じることによって、自分自身の内なる能力と徳質をも引き出し、伸ばし、開花させることができるとも教えていると思います。

 モルモン書の中のニーファイは次のように語っています。

「わたしたちは子孫と同胞に、キリストを信じ、神と和解するように説き勧めるために、熱心に記録し続けようと努めている。それは、わたしたちが自分の行えることをすべて行った後に、神の恵みによって救われることを知っているからである。」(2ニーファイ25章23節)

 神の子として、私たちの内に秘められた神の属性を自他共に信じ、最善を尽くすことは、すなわち永遠の生命に共に至るための重要な鍵でもあります。自分自身に秘められた内なる可能性、内なる能力、内なる神の属性を信じましょう。そして単に聖めだけでなく、人の能力を超えて達成する力を与える主の贖いの恵みに頼りつつ、神の憐れみと愛に頼りつつ、柔和・謙遜に、信じて自らの壁を乗り越えましょう。

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2014年05月11日

「祝福を引き寄せる幸福の五心」

 神様から喜ばれ、かつ私たちを幸せにする「心」なるものがあると思います。以下の5つの心です。ネットで見つけました。私は、それを「祝福を引き寄せる幸福の五心」と呼ぶことにします。

 1.「すみません」という反省の心
 2.「はい」という素直な心
 3.「おかげさまで」という謙虚な心
 4.「私がします」という奉仕の心
 5.「ありがとう」という感謝の心

 どんなに忙しい、難しい状況の中にあっても、この「幸福の五心」をしっかりと保ち、そして実践するならば、神様は私たちの手を引いて導いて下さり、豊かに祝福して下さることでしょう。凡人の私たちにとって、簡単なことではありませんが、心がけることはできます。

 神様は「教義と聖約」の中でも次のように語っておられます。

1.「すみません」という反省の心
「見よ、わたしはどこにいる人でもすべての人に悔い改めるように命じる。……福音を信じてイエス・キリストの功徳に頼り、イエス・キリストの名を信じる信仰によって栄光を得、また悔い改めることによって救われるためである。」(教義と聖約18章9節、3章20節)

2.「はい」という素直な心
「主なるわたしは、素直な心でシオンの地に上って行く者をだれも罪があるとはしない。主なるわたしは、人の子らの心を求めるからである。」(教義と聖約64章22節)

3.「おかげさまで」という謙虚な心
「あなたは謙遜でありなさい。そうすれば、主なるあなたの神は手を引いてあなたを導き、あなたの祈りに答えを与えるであろう。」(教義と聖約112章10節)

4.「私がします」という奉仕の心
「それゆえ、善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。そして、小さなことから大いなることが生じるのである。見よ、主は心と進んで行う精神とを求める。そして、進んで行う従順な者は、この終わりの時にシオンの地に良いものを食べるであろう。」(教義と聖約64章33〜34節)

5.「ありがとう」という感謝の心
「すべてのことを感謝して受け入れる者は、栄光を与えられるであろう。また、この世のものも百倍、いやそれ以上、加えられるであろう。」(教義と聖約78章19節)

 この「幸福の五心」をいつも忘れないで、小さくとも善い事柄を進んで行い続けるならば、「シオンの地の良いもの」すなわち神様のさらなる恵みと祝福に与るようになることでしょう。

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2012年02月13日

「神から賜った嗣業−子供は育つ環境から学ぶ」

我が家には恵まれて6人の子供たちがいます。子だくさんで知られる沖縄でも、8人家族は最近ではちょっと珍しい家族です。今年理学療法士として病院勤務が始まった長男を筆頭に、下は中2の娘を含めて、4男2女です。

長男は勤務する病院の近くにアパートを借りて自活し、長女は現在東北で伝道活動に勤しんでいるため、現在は6人ですが、それまでは毎日が本当に騒がしいすったもんだの日々でした。

子供たちがまだまだ幼くて手がかかった頃、すなわち私たち夫婦が「よちよち歩きの親」を始め、子育てに悪戦苦闘していた頃、熟年を迎えたある尊敬する先輩夫婦から一編の詩をプレゼントしていただきました。

とても含蓄の深い詩で、新米夫婦の私たちにとって本当に参考になりました。ドロシー・ロー・ノウルティーの「子供は育つ環境から学ぶ」です。紹介します。

  中傷の中で育つ子供は、非難することを学ぶ。
  敵意の中で育つ子供は、争うことを学ぶ。
  あざけりの中で育つ子供は、恥じることを学ぶ。
  恥辱の中で育つ子供は、罪悪感を持つことを学ぶ。

  寛容の中で育つ子供は、忍耐することを学ぶ。
  励ましの中で育つ子供は、自信を持つことを学ぶ。
  賞賛の中で育つ子供は、感謝することを学ぶ。
  公正の中で育つ子供は、正義を行うことを学ぶ。
  安らぎの中で育つ子供は、信仰を持つことを学ぶ。
  賛同の中で育つ子供は、自分を愛することを学ぶ。
  容認と友情の中で育つ子供は、世の中に愛を見いだすことを学ぶ。


この詩は、それ以来私たち夫婦の子育ての指針になりました。
あれからやがて20年になりなんとする今でさえ、まだまだうまくできてはいませんが……。^^;

子育ては悩みの尽きない一大事業です。しかし、同時に世の中で最もやりがいのある仕事かもしれません。そしてそれは神様から与えられた神聖な務めでもあります。聖書にも「子供たちは神から賜わった嗣業であり」(詩篇127:3)とあります。子供たちは自らの所有物ではなく、愛と模範と真理によって養い育み、神の御許へ帰る備えができるよう助けを与えるために神様から託された神の息子娘です。それゆえ、父親と母親の責任は重大です。

現代の預言者たちは、特に父親へ向けて次のように語っています。

「さて父親の皆さん、皆さんに覚えていただきたい。主の仕事の中で最も大切なのは、あなたの家の囲いの中で行う仕事である。ホームティーチング、監督の仕事、その他の教会にかかわるすべての仕事はもちろん大切である。しかし、最も重要な仕事はあなたの家庭の囲いの中にあるのである。」(ハロルド・B・リー大管長「堅固な家庭」1973年 パンフレット P.7)

「兄弟、あなたのなす最も大切な主の仕事は、あなた自身の家庭の囲いの中にあることに気づきませんか。それこそ最も大切な主の仕事なのです。価値観をはき違えてはいけません。」(ハロルド・B・リー大管長「あなた方は世の光である」)

「神の計画では、すべての人に父親が与えられ、父親の責任は単に生活の必需品を与えるだけでなく、この世と永遠にわたって訓練を施すことである。サラは明らかにリーハイを助けていた。しかし、家族を集めて、正義の道を歩むように教えたのは父親であった。」(スペンサー・W・キンボール大管長「大会報告」1965年4月 P.61)

「これらを専門家に任せず、あなた自身の説伏と模範により、炉端で子供に教えなさい。あなたが真理の専門家になりなさい。集会、学校、組織を単なる指導教師ではなく、自分のものとし、それらを家庭における私たちの教えと訓練を補うものとしなさい。」(ジョセフ・F・スミス大管長「福音の教義」P.292)

神様から与えられた父親としての管理の職の重要性を今一度新たにするすばらしいメッセージです。父親と母親は、「神聖な行く末を内に秘めている神の息子娘を神様から預かり、今養い育んでいる」との認識をしっかりと持ちつつ日々子供たちに向かい合う必要があるのでしょう。ゲーテも次のように語っています。

「もし人があるがままに扱うなら、その人はそのとおりになるだろう。しかし、その人があるべき姿、なりうる姿を思い浮かべてそのように扱うなら、扱われたとおりの人物になるだろう。」(ゲーテ)

上記のすばらしい提言をしっかり心に留めて、これからも頑張りたいと思います。

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2012年02月12日

「人の心を慰め癒す一生懸命咲く花々」

愛する子供たちへ

私は花が大好きです。物覚えが悪いので名前はなかなか覚えられないのですが、すべての花が大好きです。

花屋さんで華やいでいるポピュラーな花ばかりではなく、野菜や果物、雑草なんかの花も最高です。(本当は雑草という草花はありませんね。正確には田畑や荒れ地に咲く草花…かな? いずれにしても雑草と呼んでごめんなさい。)

わが家の庭でも、季節ごとに咲くたくさんの花が見られます。

さつまいもの薄紫色の花、ニラの真っ白い可憐な花、かわいい黄色の菜の花、ジャガイモの真ん中黄色に薄紫花びら、しそのほんのり紫がかった白い花、大根の清楚な白い花、ゴーヤ・キュウリ、トマトの鮮やかな黄色い花……などなど数えたらきりがありません。

庭や道ばたの草花も、よくよく見ると本当にきれいな花を咲かせて私たちの心を和ませてくれます。

そんな花たちを見るとつい小さな声で、「みんな一生懸命咲いてるね〜。とてもきれいだなあ。風が強いけど頑張ってよ〜。」と話しかけてしまいます。

時々不覚にも、花に声掛けしているその現場を通りがかりのオジーやオバーに見つかって、とてもばつの悪い思いをします。顔から火が出そうなときもありました。(^^;) でも、そんな時のオジー・オバーの目は、

「ウンチュヤ ウヒグヮー フリトーッサー(この人は少し頭がおかしいさ〜。)」

という目…ではなく、しわくちゃの笑顔の奥にあるとても温かな優しい目です。これもまた花にも劣らず私の心を和ませ、安心させ、癒してくれます。だから私はオジーもオバーも大好きです。

仕事で疲れたとき、落ち込んでいるとき、気分が悪いとき、難しい問題で頭が疲れたとき、毎朝毎夕必ず庭へ向かいます。そして花たちと会話するのです。10分ほどで心も頭も身体まですっきりします。まるで、心ときめく恋人(結婚前の家内)に会ってきたような気持ちです。(笑)

「あなたは私の顔を見つめるのより、花を見つめる時間の方がはるかに長いわね。」最近はよく家内に皮肉られます。

そんなときは、その場の空気が和らぐよう「いや〜花たちを見てると結婚前のデートのときのあの心のときめきを思い出すからね〜。」とニコニコしながら、歯が浮くようなジョークを返すことにしています。だいたいま〜るく収まります。


花たちは本当に一生懸命咲いています。道ばたのどんな厳しい環境でもその花なりに、精一杯生きています。だからこそ美しいのでしょう。だからこそ心惹かれ、心が癒されるのでしょう。元気を一杯もらい、心が和み改まります。そして、また頑張れるのです。

花たちは、エドワード・エベレット・ヘール氏が語った次の言葉の意味するところを、本当によく知っているのかも知れません。

 「私にはひとり分の力しかありませんが、
  ひとり分の力にはなれます。

  私にはすべてのことはできませんが、
  何かをすることはできます。

  すべてのことができないからといって、
  何かをすることまでやめてはいけません。」

名もない道端の花のように、上記のような生き方ができれば本当に素晴らしいと思います。

明日もまた、通行人のオジーやオバーたちに悟られないように花たちと会話しよっと……。

皆さんも始めてみませんか。心癒され、幸せになること請け合いますよ。

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2012年02月11日

「コスタリカ物語-見出そう My Friend」

愛する子供たちへ

先日の早朝、仕事に出かける前に、私が若い青年たちと一緒に聖典を勉強していた時のことです。ひとりの若者がやってきて一緒に勉強したいと申し出てきました。

喜んで迎え入れ「どうして一緒に聖典を勉強したいの?」と尋ねると「今年、是非専任宣教師としての召しをいただき、多くの人々にこの回復された福音を伝えたいんです」との答えが返ってきました。

彼の澄んだきれいな瞳の奥を覗き込み、そこに純真で固い決意を見、また感じたとき、何とも言えない温かな思いで一杯になりました。彼の心を人々に福音を伝える決意に導いて下さった主に心から感謝しました。

仕事を終えて、夕方その青年のことを思い起こし感慨にふけっていた時、ひとつの物語を思い出しました。彼のように「人々の幸せのために、2年間の時間を主に捧げ、人々にこの回復された福音を伝えたい」と望むある青年に起こった出来事です。私は彼が召された伝道地にちなんでその物語を「コスタリカ物語」と呼んでいます。

「コスタリカ物語」

この物語はアメリカのユタ州で実際にあったお話しです。

専任宣教師として伝道に召された一人の若い青年が、日曜日の聖餐会で立って話をしました。

彼は次のように語りました。

「私は先日、ひとつの夢を見ました。今まで見たことがないような美しいところで、私はひとりの友と座って話をしていたのです。

私たちは二人でこれから行って生まれる地球について話をしていました。すると、ひとりの天使が私たちにのところにやって来て一通の手紙を渡しました。それは私が間もなく地球に生まれるという手紙でした。

私は友にそれを読んでくれるように頼みました。彼はその手紙を開けて読みました。

『あなたはアメリカのユタ州にあるソルトレークという町でこの教会の福音を知った家族の元に生まれるでしょう。あなたはイエス・キリストの真実の福音の中で育てられ、たくさんの家族の愛を受けて、幸せに過ごすことが出来ます。』

私たちは嬉しくなって抱き合いました。すると、また同じ天使が私たちのところにやって来て、今度は私の友に手紙を渡しました。

友も喜んで『じゃあ、今度は僕のを君が読んでくれよ』と言いい、私にその手紙を差し出しました。私はその手紙を開けて読み始めました。

『あなたは南アメリカのコスタリカという貧しい国の家庭に生まれでしょう。あなたの家庭はこの福音を聞いたことがなく、また、貧しい生活の中でたくさんの苦労をして生きていかなければならないでしょう。』

私たちは悲しくなって胸が張り裂けそうでした。友は涙でいっぱいになった私の目をみつめてこう言いました。

『友よ、どうぞ私を見つけに来てください。そして再びこの福音を私に教えて下さい。』

私はこのような夢を見てから、三日後に伝道の召しをいただきました。そして、私の伝道地は、なんと夢に出てきたあのコスタリカでした。私は主が示してくださったその友を必ず見つけます。」

それから一年たったある日曜日、ソルトレークのその同じワード(支部)ではいつものように聖餐会が行われていました。ビショップは立ってこのように話しました。

「みなさんは一年前、ここに立って証をしたひとりの若い宣教師の青年を覚えていますか? 私は、昨夜彼から一通の手紙をもらいました。そこにはたった一行だけこのように書かれていました。I found my friend.(私は友を見つけました)。」


この実話を元にひとりの教会員が、以下のようなすてきな歌を作ってくれました。今では多くの教会員に愛唱されています。今日は、その歌を皆さんにも紹介します。


「見出そう My friend」

1.覚えてる前世に 君と共に住んだ日
  天の父に従い この地に生まれた

  主の召し果たして 主の羊探し     
  教え導き また 天に帰ろう

  友よ私はそこに あなたを見つけに  
  もしめぐりあえば 主の道受け入れて  

  人の値は 天に大いなると知り
  すべてをささげ 見出そう My Friend

2.良きおとずれを世に 響き渡らせたまえ  
  主の僕となりて 今私は召さる

  清き心は待つ 主の声をまつ  
  イエスにより生まれ 天に帰ろう

  友よ私はそこに あなたをみつけに  
  もしめぐりあえば 主の道受け入れて

  人のあたいは 天に大いなると知り  
  すべてを捧げ 見出そう My Friend


「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。見よ、主なるあなたがたの贖い主は、肉体において死を受けた。それによって、すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように、主はすべての人の苦を引き受けた。そして、悔い改めを条件として、すべての人を自分のもとに導くことができるように、主は再び死者の中からよみがえったのである。人が悔い改めるとき、主の喜びはいかに大きいことか。」(教義と聖約18章10節)

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2012年02月07日

「目標を設定する−ジョン・A・ウィッツォー長老の助言」

この記事は、末日聖徒イエス・キリスト教会公式ホームページの記事の紹介です。

「目標を設定する」

<1世紀以上を経て今も活きるジョン・A・ウイッツォー長老の助言>

毎年多くの人が、前の年より少しでも良くなろうと決心します。ジムに通う回数が増え、新鮮な果物と野菜を買い、聖文研究にもより熱心に取り組みます。しかし、こうして良い目的で始めても、ウォーキングマシーンは止まったままとなり、食べ物は腐り、聖典もほこりをかぶってしまう結果となることがあります。

書き出さない目標はただの望みにすぎないと言われてきました。おそらく計画性に欠けていることが、決心が続かない理由の一つでしょう。毎日の生活にじゃまされるという人もいて、新年の決意がただの思い出となり、失望に終わってしまう人がたくさんいます。しかし、どのような人生を送るかはその人次第であり、イエス・キリストを中心に生活することで、様々なことを達成できるのです。

「人生で幸福を得るためには、清い心と明らかな良心を持ち、主を畏れ、主の戒めを守ることである。そこでわたしは今後の生活を正す意味で次のような実行目標を立てた。創造主であり、全能の御方である主がわたしを助けてくださるようにと願っている。」

これはジョン・A・ウイッツォーが19歳のときに語った言葉です。後に使徒となった彼は、今から100年以上も前に、生涯の指針となる17つの決意をしたためました。これらの決意は、人生を計画し、時間を賢く使おうとする今日のわたしたちにも当てはまります。

ジョン・アンドレアス・ウイッツォーは、ジョン・A・ウイッツォーとアンナ・カリン・ガーデンを両親に1872年にノルウェーで生まれました。1878年、夫と死別したアンナ・ウイッツォーは幼いジョンと生まれて間もないもう一人の息子を連れて、親戚のいるトロンドハイムに移りました。

その地で末日聖徒となったアンナは、1884年に息子たちとともにユタ州ローガンに移り住みます。ジョンは17歳でローガンのブリガム・ヤングカレッジに入学し1891年に卒業しました。その年の1月1日に、ジョンは罫線の入った紙に次のように書いたのです。

「決意:

1.科学の中の科学である宗教に、生涯第一の関心を寄せる。
2.毎日ひそかに神に祈る。
3.毎日神と神の属性について考え、自分も神のようになるよう努力する。
4.どこでどのように与えられるかにかかわりなく、光と知恵と知識を受け入れる。
5.一度正しいと確信したら、その原則、信条、宗教を認めることを決して恥としない。
6.時間を一瞬も無駄にせず、自らを改善するために有効に使う。
7.暴飲暴食をしない。
8.それが人生で残された最後の1時間だとしたら恐らくしないだろうと思えることは、決してしない。
9.毎日神の言葉を読み、神の御心を学び、慰めと力と勇気を得る。
10.純粋で簡潔な真理だけを語る。
11.自分の義務だと思われることや、同胞にとって最も益となることを常に行う。
12.生命のあるかぎり全力を尽くして生活し、生けるしかばねのような生き方はしない。
13.言葉や態度で相手を無理に自分の意見に従わせるようなことをせず、ただ自分の意見と主張を率直に述べるようにする。
14.すぐに腹を立てたり、大声を出したり、いらいらしたりする癖を含め、何であれ、隣人の気分を損ない、自分自身を傷つける振る舞いを改める。
15.母親に対する義務を一瞬たりとも忘れない。現在のわたしがあるのも、将来のわたしがあるのもすべて母親のおかげである。わたしのために人生の大切なひとときを使ってくれた母親に、与え得る限りの愛と誉れと敬意をささげなければならない。同様に、兄弟や友人、同胞に対する義務も忘れないようにする。
16.やり始めた仕事はすべて成し遂げる。また、責任を引き受ける前に、それを行う目的とその結果についてよく考える。
17.出会う人々すべてが自分の兄弟姉妹であることを常に忘れず、隣人の目からちりを取ろうとする前に、自分の目にある梁を探す。」

ウイッツォーが母親に対して義務感を抱いたのも当然のことでした。アンナは自分の地所を担保に借金をし、そのお金で息子をマサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学へ通わせたのです。彼は4年の課程を3年で終了し、最優秀の成績で卒業しました。

その後ローガンに帰り、ユタ州農業大学(現ユタ州立大学)の教授の職を得ました。1898年、リア・ユードラ・ダンフォードと結婚し、ドイツに移りました。ゲッティンゲン大学から博士号を取得しました。ウイッツォーは再びローガンに戻り、農業大学で農業研究学部を創設しました。彼が開発した科学乾地農学と灌漑方法は世界中の乾燥地帯で使用されました。

ウイッツォーは1907年から1916年まで農業大学学長を、1916年から1921年まではユタ大学で学長を務めました。1921年にジョン・A・ウイッツォー長老は使徒に聖任され、1952年に亡くなるまで使徒としての務めを果たしました。

晩年、ウイッツォー長老は次のように語っています。「無私の生涯を送り、神と人に仕え、人類がもっと良い人となるように生産的に時間と才能を使うように努力した人、と言ってもらえるようになりたいものです。」

彼の生涯は人々への模範でした。また、その業績は世界中の人々に恩恵をもたらしました。ウイッツォー長老の話がインスティテュート『福音と実りある生活』の教師用テキストに紹介されています。「多くの人は目標を立て、時間を有効に管理することが苦手であると書かれ、より良い生活を送り、よりよく奉仕できるための3つの原則が挙げられています。

1.価値ある目標を設定することにより、生活に指針が与えられる。
2.様々な分野において、目標を設定すべきである。
3.時間を管理することで、生活をコントロールできるようになり、さらに効果的に仕えることができる。

1974年10月の総大会において、当時十二使徒定員会会長だったエズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように述べました。

「責任を負うことができるすべての神の子は、目標、すなわち短期目標と長期目標を定める必要があります。適切な目標を達成しようと邁進している人は、落胆の気持ちなどすぐに打ち砕いてしまいます。そして、一つの目標を達成すると、すぐ新しい目標を定め、こうしていつも目標を持ち続けるのです。わたしたちは毎週聖餐を受ける度に、イエス・キリストの名を受け、いつも御子を覚え、また主の戒めを守るという目標に対して決意を新たにします。

聖典には、イエス・キリストが御自分の使命に備えるに当たって、『ますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された』と書かれています(ルカ2:52)。これには霊的、知的、肉体的、社会的な4つの面が関係しています。また主は、『あなたがたはどのような人物であるべきか。まことに、あなたがたに言う。わたしのようでなければならない』と言われました(3ニーファイ27:27)。わたしたちは、主の足跡をたどり、主と同じようにすべての美徳を備え、主を拝し、わたしたちの召しと選びを確かなものにするために励むという生涯の目標を持っています。』

ウイッツォー長老は「永遠の命に導きたまえ」(Lead Me Into Life Eternal)という賛美歌を書いています。その歌詞の中に、長老の神への誓いと、キリストと福音を「生涯の指針とする」決意を見ることができます。

「父よ、わが全霊を汝にささげん。わが働きはすべて汝のものなり。」

2012年を始めるに当たり、「目標とは予想される成果」であることを覚えておくことは大切です。

目標を記したリストと達成する決意を胸に、わたしたちも19歳のウイッツォー長老のように成功するための計画を立てようではありませんか。

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2012年02月06日

「父の心を変えた幼子の純真さ」

私の友人の一人がある時、少し口げんかが多くなった幼い3人の息子たちに、兄弟が互いに仲良く何でも分かち合い協力できるような良い関係を育んで欲しいと願い、彼らを自分の元に呼んで特に長男にひとつの課題を与えて考えさせ、それから一緒に話し合おうと考えました。

彼は長男に5つのあめ玉を渡し、それを兄弟3人で分けなさい、もちろんどのように分けるかはあなたに任せますと投げかけました。

彼の予想では、長男はまず1個ずつを弟たちに与え、あとの3個を自分のものとするだろうから、それを踏まえて持論を展開するつもりのようでした。

ところが結果は予想と全く違うものとなりました。

その長男は少し考えた後、2人の弟にあめ玉を2個ずつあげて自分は残りの1個を本当に美味しそうに食べたのです。

それを見ていた父親である友人は、非常に感激し、彼の言葉を借りれば「自分の中の何かが非常に強く大きく変わるような感動を覚え、持っていたすべてのお菓子を長男にあげたい」と思ったようです。

しばらくは理性で持ちこたえていましたが、結局は気持ちを押さえ切れず全部のお菓子を長男に渡し、兄弟3人で分けさせました。

危うくこぼれそうになった涙を息子たちに見られないように必死にその場を取り繕いながら……。

もちろんその後の予定していた彼の話もキャンセルです。

友人はとても嬉しそうに次のように言いました。

「今回は息子に全く一本やられ、逆にこちらが学びました。まさに釈迦に説法でした……。」

純真な幼子の思いやりある小さな行為が、いかに人に感化を与えその心を動かす力を持つものであるかを改めて確認できた温かい話でした。主も弟子たちに次のように語りました。

「すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。』」(マタイ18章2〜4節)

幼子の持つそのような純真さは本当に最高です。

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2012年02月05日

「幸福で堅固な家庭を築くために」

私の母に福音を伝えて下さった、サム・K・島袋長老が、東京神殿の神殿長をされていた1986年3月末、私は専任宣教師としての召しを終え、東京神殿を訪れました。神殿の廊下で島袋長老にお会いしたとき、わが家に福音とその祝福をもたらして下さったかれへのとても大きな愛と感謝の念に包まれ、彼をしっかり抱きしめて、止めどなく流れる涙で声を震わせながら次のように告げました。

「島袋長老、母に、そしてわが家に、この回復されたイエス・キリストさまの本当にすばらしい福音とそれに伴う溢れるばかりの祝福をもたらして下さり、本当にありがとうございました。島袋長老には、どんなに感謝しても感謝しきれません。私も微力ながら教え頂いたこの福音を多くの方々にお伝えできたことは本当に大きな喜びであり祝福です。それも皆あなたのおかげです。本当に感謝しています。」

彼は、私にとってもう一人の父のような存在です。

その3カ月後、彼の司式によって私の家内敦子姉妹と永遠の伴侶として結び固められたことは、私の人生において最も幸せな、そして決して忘れ得ない出来事となりました。島袋長老は、私たちの結婚を祝し、次のような本当にすばらしいメッセージを下さいました。このメッセージは、わが家の宝物です。そして、それはすべての夫婦に、またこれから神殿結婚をめざすすべての若人たちにも心に刻んでほしいメッセージです。今日は、その特別なメッセージを皆さんにご紹介します。

「幸福で堅固な家庭を築くために」

         サム・K・島袋 長老

「わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台にしているからである。」(マタイ7章24〜25節)

円満で幸福な家庭を築くにはどういうような材料を使うべきか深く考えなければなりません。

まず最初に家庭の土台です。何よりも土台を最も強くしなければなりません。土台を堅固なものにするためには、「イエス・キリストの完全な福音とそれに伴う戒め、教えと儀式(神殿の儀式と聖約を含める)」という材料が必要です。

家を丈夫に支えるために柱が気になります。四本の柱を強くするために次のような材料が必要です。北の柱は「誠心誠意」の材料、南の柱は「尊敬」、東の柱は「忍耐」、そして西の柱は「陽気」の材料で建てるように。

屋根はどうでしょうか。屋根は家全体を雨、雪、風から守る重要な役割を果たすものです。家を厳重にかぶせる屋根の材料は「ふたりの抱いている純情な愛」で造らなければなりません。

次は天井です。天井は「理解」の材料でなければなりません。夫婦の絆を強くするための材料がいつも「理解」であるように。

次は壁です。高級な材料を使ってしっかりとした壁を造ってもらいたいと思います。しっかりとした壁に囲まれていたらいつも安心感を感じて楽しい毎日を過ごせます。

北の壁は「思いやり」の材料で造るように。南の壁は「寛容」の材料、東の壁は「譲り合い」の材料、そして西の壁は「有意義で楽しいコミュケーション」の材料です。

最後に床です。床は年中踏み歩いて使っているので特別な長持ちのする材料で造らなければなりません。床を「信頼」の材料で造れば間違いはありません。床の上をいくら踏み歩いても「信頼」の材料より丈夫で安全なものはありません。以上です。

……ひとつ肝心な事を忘れていました。これらすべての材料は無料です。すなわちお金は要らないのです。

神様の豊かな祝福と導きがお二人の上にありますよう心よりお祈りいたします。

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2012年02月01日

「真珠貝−異物を美しく貴い宝石へ」

真珠−それは女性であれば誰でもがあこがれる装飾品のひとつです。

真珠といっても白蝶真珠や黒蝶真珠からマベ真珠、淡水真珠など様々な種類があるようですが、日本で生産される代表的な真珠といえばやはりアコヤ真珠です。

三重、愛媛、長崎、大分、熊本県などのきれいな海でアコヤ貝を母貝として養殖されています。

興味深いのはそれらの貝たちが美しい真珠を作る過程です。

真珠を作る貝の中には「外套膜」と呼ばれる貝殻をつくる成分を分泌する膜があります。貝の貝殻と内臓を被っている膜のことです。

もし貝の体内に小石などの異物が入った場合、この外套膜が真珠質を分泌して異物を幾重にもくるんで真珠層を形成していきます。養殖真珠は、この外套膜の性質を利用して作られるのです。

ほとんどの人が知っていることとは思いますが、真珠貝はなんと自身にとってとてもやっかい物であるはずの小石のような異物から美しい宝石を作り出していたのです。

何とすばらしいことでしょう!

この世は、多くの主の恵みや祝福で満ちていると同時に、多くの悲しみや苦しみ、孤独、試練や艱難、苦難に満ちています。毎日メディアで報道される多くの事柄には、耳や目を疑い、心を締め付けられるような恐ろしく悲しい事件で満ちています。

この現世が、「試しの世」すなわち神のみもとへ戻り、永遠に神と共に住むにふさわしい自分を証明するための鍛錬と試験の場であるがゆえの厳しさでもあるのでしょうが、やはり厳しいと言わざるを得ません。しかしながら、主は預言者リーハイを通じてその息子ヤコブに次のように語っておられます。

「さて、ヤコブよ、わたしはあなたに告げる。あなたは、わたしが荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子である。見よ、あなたは、……ひどい苦難を味わい、つらい思いをした。しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」(ヤコブ2章1節)

艱難や苦難、試練や悲しみ、孤独は、決して人をつまずかせるものではなく、それを主にあって受け入れ、主に頼り、主の贖いの恵みにすがって耐え、乗り越えるべく最善の努力をする人を精錬するものであることも知っています。

真珠貝の真珠作りの過程はまさにそのことを象徴しています。

なぜ祈りは答えられるのでしょうか。
なぜ祈りは答えられないのでしょうか。

主御自身も「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」(マタイ26章39節)と、人には決して知り得ない恐ろしい苦痛と苦悶の中で祈られましたが、その願いは叶いませんでした。「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」との神と人への深い慈愛の発露として発された言葉の通り、神の御心が行われ、救いの計画の中で最も大いなる贖いの業が全うされることとなりました。

なぜ祈りは答えられるのでしょうか。
なぜ祈りは答えられないのでしょうか。

わたし自身にも、すぐにかなえられた祈り、10年後、27年後にかなえられた祈り、そして未だかなえられない祈りがあります。

それは、主御自身のように、私たちが神の御心のみによって生きるようになるためだと思われます。

奇跡は、信仰を生むことはありません。
信仰は、神のみ言葉を聞くことから生じると主もおっしゃっておられます。(ローマ10章17節)
もちろん奇跡は、信仰に伴うすばらしい主の恵でありますが、この世において最も大いなる奇跡は、目に見える病の癒しでも、足や目の不自由な方が癒されることでもありません。この世において最も大いなる奇跡は、主にあって人の心が変わり、思いが変わり、生活が変わることだと思います。

すなわち、神を信じ、主の贖いを信じ、その御心のみによって歩もうと決意し、主の贖いに頼って真理に懸命に従おうと努力する心の大きな変化こそ真の大いなる奇跡です。

なぜ祈りは答えられるのでしょうか。
なぜ祈りは答えられないのでしょうか。

そのような心の大きな変化という奇跡を自らと自らの人生に起こし、神が人それぞれに与えられた使命を全うできるようにするためだと思われます。完全な救いに至るすべての真理を熱心に求め、神と主への愛と感謝の念を持ってそれらを行い、神が召された預言者と使徒の助けを得つつ、「わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るため」(エペソ4章13節)すなわち、永遠の生命(ヨハネ17章3節)を得られるよう自他共に助け合うためです。

たとえヨブのようにこの世のすべてを失っても、神を知り、主を知るという「真珠(=永遠の生命)」を賜物としていただくことが出来るとすれば、「神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる」(ヤコブ2章1節)と諭すリーハイの約束が、真に私たちの身に現実のものとして起こることでしょう。

私の大好きな「記念碑」という詩があります。寡黙に異物の痛みに長く耐えつつ、それを受け入れて美しい宝石に変えるあの真珠貝の優しい思いを代弁しているかのような詩です。

「記念碑」

神様は
その子供たちを地上へ送られる前に
彼らのひとりひとりに
慎重に選び抜かれた試練のはいった箱を与えられました。
彼は微笑みながら
それらの試練があなただけのものであることを約束されました。
あなた以外の誰も
それらの試練があなたにもたらす祝福を受けることは出来ないでしょう。
そしてあなただけが
それらをあなたの しもべ とするために必要な
特別な才能と能力とを持っているのです。

さあ!
未知の旅へと出かけなさい。あなたの誕生へと…
私が幕の彼方からあなたをこよなく愛していることを
決して忘れてはいけません。
私があなたに与えるこれらの試練は
私のあなたに対する愛のしるしです。
そして
これらの試練の助けを通してあなたが築く人生の記念碑は
あなたの私に対する愛のしるしとなるでしょう。

               天父

時には辛く悲しいこの人生、でもそれだからこそ真の喜びと成長を得られると思います。いつも主を仰ぎ見て、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、どんなに孤独でも、どんなに淋しくても、どんなに生活が厳しくても、互いに支え合う心を持って、あの寡黙な真珠貝のように、ひとりひとり異なる「美しい人生の真珠」「人生の祈念碑」を作れたら、どんなにすばらしいことでしょう!

なぜ祈りは答えられるのでしょうか。
なぜ祈りは答えられないのでしょうか。

すべての神の息子娘たちが、ひとりひとり異なる「美しい人生の真珠」「人生の祈念碑」を作るためです。

そして、神さまはひとりひとりを決して見捨てずに、必ず助けて下さいます。

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2012年01月30日

「親ぬ言葉や神ぬ言葉−父と母を敬いその良き勧告に従う」

今日紹介するお話しは、アメリカの教会の青年たちに実際に起こった出来事です。両親を敬い、その良き勧告に従うことの大切さについて深く考えさせられるお話しです。

4人の若い青年たちが、鹿を狩るために車で山へキャンプに出かけることになりました。4人は大の仲良しで、行動する時はいつも一緒です。誰もが、翌日からのキャンプを本当に楽しみにしていました。

ところが彼らの中の一人の母親が、今回のキャンプに関し、なぜかとても大きな不安と胸騒ぎを感じて、息子に今回だけはキャンプへ行かないよう説得し始めたというのです。

その息子は、とてもがっかりし、でもなんとか母の気持ちが変わるよう、許可してくれるよう粘り強く、また多少のいらだちも含めて母に頼みました。

ところが母親の不安は募るばかりでその決意も固く、結局優しく理由を説明され、説得されたその青年は、母の勧告に渋々従うことにし、キャンプ行きを断念したそうです。

2日後3人の友人たちが青ざめて彼の元へ帰ってきました。そして次のように報告したのです。

「君は今回のキャンプをキャンセルして本当に良かったよ。
 帰りしな、君がいつも座るシートの後ろには
 いつものようにライフルが立てかけられていたのだが、
 それが、どういう訳か暴発してしまったんだよ。
 君が座っていたはずのシートの背もたれを貫通し、
 フロントガラスに大きな穴を残して……。
 もしあの時君がそのシートに座っていたなら、
 今頃君はこの世にいないはずだよ……。」

その青年は絶句しました。そして、しばらくしてわれに帰った後、主と母親への本当に深い感謝の念で満たされました。

沖縄の「島唄」の一節に次のようなくだりがあります。

「親ぬ言葉や 神ぬ言葉 忘んなよ」
(ウヤヌクトゥバヤ カミヌクトゥバ ワシンナヨ)

これは、「子供たちへの深い愛情を込めて語られる親の義しい教えや勧告は、神から下される勧告の言葉としてしっかりと心に留めて行い、決して忘れるようなことがあってはいけませんよ」という意味です。

聖書にも次のようにあります。

「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。」(出エジプト記20章12節)

沖縄のオジー・オバーたちは、自らが義にかなった生活をする限り、すべての父親母親は自らの子供たちのために、神(御天大主:ウティンウフシュ)より直接導きをいただき、子供たちに幸いと益をもたらす教えと勧告を与えることができると信じています。

そして義しい親を通して愛情を持って語られる教えや勧告は、すなわち神の教え、勧告であり、それに喜んで素直な心で従う時、神に守られこの地に長く幸せに暮らせると信じているのです。

父と母を敬い、その愛情を込めて語られる教えや勧告に従うことの大切さを改めて痛感しました。

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2012年01月28日

「まなぞこに 映るは父ぞ 吾子生きよ−天の温かい眼差し」

俳人西東三鬼の作品に、私の大好きな俳句があります。以下の俳句です。

「まなぞこに 映るは父ぞ 吾子生きよ」

重い病に伏す、わが子の顔をのぞき込み、その回復を懸命に祈り励ます父親の愛情と心の憂い・葛藤が深く心に染み込むすばらしい作品だと思います。私がこの俳句に強く心引かれるもうひとつの理由があります。それは、私にも同じような経験があるからです。

今から約20年前、娘の一人が3歳の時のことです。非常に重い病に冒されてしまいました。訪れた県立病院の専門医に診察していただいた結果、非常に深刻な進行状態であることが分かりました。

その後、自宅の近くにある国立病院の有名な小児専門医を紹介され、本格的な治療が始まりました。ところが様々な薬物治療がなされますが、思うような成果がなかなか得られません。当初からかなりの長期戦になることは覚悟していましたが、この種の病気の中でもかなり症状が重く、担当の医師も本当に厳しい表情です。

ある日その担当医に夫婦で呼ばれまして、相談を持ちかけられました。

娘の症状は殊の外重く、現在の症状を抑え、抜本的な治療を施すためには入院が必要であること、その治療には副作用が伴い、完治は難しく、症状が大きく改善する確率も三分の一とのことでした。症状が改善しても、この子が通常の子供たちと共に学校で学ぶことは難しいだろうということでした。もちろん命の危険もあります。

「どうしますか」との問いが投げかけられました。

「どうしますか。」と言われても、その治療法以外には他に打つ手はなく、そのままでは命の危険も伴います。完治は困難、症状の大幅改善の確率も三分の一、そう言われても、もうやるしかありません。早速、入院の手続きが取られ、特殊な治療が始まりました。

これまでの人生の中で、これほど必死に祈った経験はありませんでした。

当時五歳になる上の息子と、一歳半の下の息子を連れて実家に預けるたび、母が私たち夫婦以上の切実さで朝な夕なに必死に祈っている姿を目にしました。二人の息子も、そのおばあちゃんの祈る背中を毎日のように見つめました。

「子や孫の 幼心に 焼き付くは 祈るオバーの 小さな背中」

娘は、治療期間中かなりの副作用で苦しみました。しかしながら多くの方々の祈りに支えられて、治療は大きな効力を及ぼし、あの重い症状は徐々に引いていきました。もちろんその後も長く治療と投薬は続きましたが、日常生活を全く問題なく送れるほどに回復しました。担当の医師も奇跡が起こったと本当に喜んで下さいました。

普通の子供のように幼稚園に通い、そして普通の子供のように小学校へ上がりました。私たち夫婦にとって、その平凡でごく普通のことが、本当に大きな幸せであると身に染みて感じ心から感謝しました。

娘が中学へ上がって間もなく、十年近く続いた治療・投薬は病気の完治と共になくなりました。担当の医師もこれほどまでの回復は、症例が本当に少ないと手放しで喜んで下さいました。

まさに奇跡でした。

温かく支えて下さった担当の先生や病院のスタッフ、周りの方々へ心から感謝しました。そして十年間ほとんど一日も欠かさず祈ってくれた母(おばあちゃん)には、どのように感謝しても感謝し切れません。情愛を込めた信仰の祈りは奇跡を生むとは月並みな表現かもしれませんが、私たちにとっては本当に重い言葉です。

その娘は、昨年2月より、幼い頃から貯めた自らの貯金と大学時代にバイトで貯めたお金を携えて、東北の地で専任宣教師としての召しを受け、無報酬で1年半の期間伝道活動に勤しんでいます。

あの3月11日の東北大震災の時、その娘は福島県郡山で被災しました。一時期音信が途絶えましたが、2日後無事が確認され、胸をなで下ろしました。東北各地で伝道していた72人の宣教師は、壊滅的な被害を受けた地域で奉仕していた10数名の宣教師も含め、全員が奇跡的に助かりました。そして、その地に住む教会員全員の無事が確認されたのです。本当に本当に大きな奇跡でした!!

「まなぞこに 映るは父ぞ 吾子生きよ」

天は常に、本当に深い愛の眼差しを持って私たち一人一人をご覧になり、助けの手を差し伸べ、励まして下さいます。日々、そのような天の温かい眼差しを感じながら生活できる祝福は、何にも変えられない本当に大きな恵みです。

アメリカの友人が、特別なDVDを作ってくれました。タイトルは「I know that my Savior Loves Me.(私は救い主が私を愛しておられることを知っています)」です。あなたもきっと天のあなたに対する温かな眼差しを感じ、平安に満たされることでしょう。是非ご覧下さい。

こちらをクリックして下さい。
   ↓ ↓ ↓
「I know that my Savior Loves Me」
(私は救い主が私を愛しておられることを知っています)

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2012年01月27日

「自分を大切に」

詩人山崎房一氏の作品の中に、私の大好きな「自分を大切に」という詩があります。私の目標の詩でもあります。とてもすてきな詩ですので皆さんにも紹介します。

「自分を大切に」

自分を大切にする人は
人を大切にします。

自分を粗末にする人は
人を粗末にします。

自分を愛する人は
人を愛することができます。

自分が嫌いな人は
人にグチばかりこぼします。

自分を好きな人は
自分を伸ばします。

聖書にも次のように記されています。

自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ22章39節)

自分を真に愛することができる人が、真に人を愛することが出来るようになるのでしょう。自分を大切にし、自分を好きになることは、真に人を愛せる自分になる重要な鍵だと私も思います。

自分の欠点や弱点に、全く目をつぶるというわけではありませんが、もっともっと自分の小さな努力を認め、褒める必要があると思います。自分の長所や良い徳質を認め、もっと褒めましょう。

自分自身を褒め、自分の長所を褒め、自分の努力を褒める人は、自分をもっと好きになります。
自分を好きになれる人は、自分をもっと大切にします。
自分を大切にする人は、よりよい選択をするように努めます。
よりよい選択をする人は、自分に自信が持てるようになります。
自分に自信が持てるようになる人は、さらに自分が好きになり、愛するようになります。
そして、人を真に愛することが出来るようになるのです。

自分自身を、自分の長所を、自分の努力をもっともっと褒め、自分をもっと好きになりましょう。
自分をもっともっと大切にして、自分を愛せるようになりましょう。

真の幸せは、そこから始まると思います。

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2012年01月26日

「自分の命を失う者は、それを救うであろう」

出張中、上司からとても考えさせられるお話を聞き感動しました。彼の友人のひとりがボランティア活動に携わっていたとき同僚だった米国人青年の身に実際に起こった出来事です。

その青年と彼の親しい友人が雪山登山に挑戦したときのことです。極寒の中、ものすごい吹雪に見舞われて二人は遭難してしまいました。安全な場所まで移動しようと体力の限界を超えて懸命に歩き続けましたが、友人はついに命果ててしまいました。青年は、これまで感じたことのない狂おしいほどの悲しみと、死の恐怖におののきながら祈りました。

自身も今にも倒れそうな限界の中で、彼は二つの選択の間で心が揺れていました。友人の亡骸を残してそのまま安全な場所まで突き進むか、それとも……。結局その青年は、親友の亡骸をその場に残して自分だけ下山することは出来ませんでした。そして通常では考えれない行動にでたのです。すでにほとんどの体力を使い果たし限界を超えていたにも関わらず、なんとその親友の亡骸を背中に背負い、薄れ行く意識をしっかりと保てるように自らを叱咤激励しながらひたすら麓へ向けて歩き続けたのです。

その姿が、十字架を背負い、ゴルゴダの丘へ向かう主の姿と重なって、私の目に涙が溢れてきました。

やがて地元の救助隊に発見されたその青年は、病院で目を覚ましました。その彼に病院の医師が次のように語ったのです。

「あなたが、もし一人で下山していたとしたら恐らく助からなかったでしょう。あなたが友人を背負って歩き続けたことで、背中から奪われるはずの体熱を保ちあなたは助かったのです。」


「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」(ヨハネ15章13節)

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。」(マタイ9章24節)

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