2006年03月05日

「与える者の子孫の幸福、天は忘れず」


私の名前は「吉隆(よしたか)」ですが、それは父母の尊敬する幕末から明治にかけて活躍した西郷隆盛の名前から付けられたようです。

幼少の頃「小吉(しょうきち)」と呼ばれていた隆盛の「小吉」の「吉」と「隆盛」の「隆」をとって「吉隆(よしたか)」と名付けられました。

西郷隆盛の人柄や生きざまには、彼の座右の銘である「敬天愛人」すなわち「天を敬い人を愛する」という精神が如実に表れていて、父母の尊敬の的となったのだと思います。

実際の私はだいぶ名前負けをしていて父母には申し訳ないのですが、でもこのようなすばらしい名前をいただいたことに心から感謝しております。


特に母は、「天を敬い人を愛する」というその精神が大好きです。
母は、生涯を通じて決して大きなことを行ってきたわけではありませんが、まさにそれを自然に行いに示し続けてきたという点で、私は心から母を誇りに思っています。

戦争の修羅場をくぐり抜け、戦後父と結婚してやっと幸せを手にした母でしたが、私たちが幼い頃、原因不明の病気で数年にわたって寝込みました。

何度か死の淵をさまよいながらも、子供を残しては決して死ねないとの思いが強く、多くの医師にさじを投げられながら奇跡的に回復していきました。病弱な体とうまくつきあいつつ、起き上がり、家事もこなせるようにまでなりました。

ただ、終戦後の物に乏しい時代、七人の子供を抱えて貧しい苦しい日々が続きました。子供たちに食べさせるのに必死でした。

そのような中、元気になった母の元には多くの貧しい、病気や悩みを抱える方々が相談に訪れるようになりました。
死の病のどん底から這い上がってきた母の励ましと彼らのための祈りには、それらの方々の心だけでなく病まで癒す本当に不思議な力がありました。

でも、母はそれらの貧しい方々から金品を受け取ることは決してしませんでした。むしろどんなに貧しくても、さらに貧しい方々に持てるものを分かち、彼らを空手(素手)で帰すことをしませんでした。私は、そんな母にずっと尊敬の念を抱き続けてきました。この特質は、戦争を経験した沖縄の多くのおじいちゃんやおばあちゃんに共通する特質でもあります。

母にはひとつの信念がありました。
それは、「貧しい方々や生活に困っている方々に助けの手を伸べるなら、天は必ずや自分の子や孫、子孫に心を留め、恵みを豊かに注いで下さる」というものです。

そして常々「恩を知ることと感謝には人を動かす力がある」と語っていました。
ほとんどの医師がさじを投げた母の病を、天が癒して下さったと母は確信しています。
そしてその感謝の心が、母の奉仕の大きな原動力となっていることがよく分かります。

私たち子や孫は、本当に恵まれた毎日を送っています。
そしてそれは、母のそのような信念と行い、そして子や孫の幸福を願う、心込めた祈りに依るものが大きいと感じています。
しかし、なかなか真似はできません。

四十数年を経た今でも、当時の方々あるいはそのお子さまに当たる方々が母を訪れ、野菜や果物などの差し入れを感謝の心と共に持ってやって来ます。

私たちは物質的な意味でなく、そのような方々の感謝の気持ちで私たち自身も励まされ、心が満たされるのです。

 「貧しきに 持てる多くを 分かち合う 子孫の幸福 天は忘れず」


posted by HappyLifeRealize at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 奉仕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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