2014年06月30日

「自分自身と明日を信じて、あきらめずに前進する」

 転勤で福岡に来る以前、故郷沖縄にいた頃の私は、仕事柄毎日のように多くの社長さんにお会いしました。

 一国一城の主として、様々な荒波を乗り越えて事業を続けていらっしゃる彼らから本当に多くのことを学びました。

 ある雑貨卸業を営む社長さんもそのお一人です。

 一代で築き上げた彼の小さな会社は順調に業績を伸ばし、忙しいながらも安定した経営を維持するまでに成長しました。

 お話しでは、近々新しい土地を購入し、大きな倉庫の建設に着手するとのことでした。

 会社の倉庫は小さな川のすぐ側に建てられており、数人の従業員が忙しそうに立ち働いている様子は、不況下でさえ経営が堅調であることを如実に物語っていました。

 ところが、穏やかな笑みを浮かべて語る温厚なその社長さん、数年前まさかのどん底を経験していたというのです。

 例年にない大豪雨をもたらした大型台風襲来の際に、倉庫そばの小さな川の下流で、流木や漂流物が水の流れをせき止め、地域一帯に大洪水をもたらしたのです。

 今までに経験したことのない大水害でした。

 道路から1メートル以上も冠水し、倉庫の商品はほとんどだめになってしまいました。

 被害総額は、なんと3億円です!

 経営は順調とはいえ、資金的な体力のない中小企業にとっては致命的な大打撃でした。

 しかしながら、社長さんは決して決してあきらめませんでした。

 家族や従業員のため事業再開へ向けて毎日駆けずり回り、地獄のどん底から血のにじむような努力を重ねて這い上がってきました。

「本当に大変でした。自殺も考えました。でも、家族や従業員のことを思うとなんとか踏みとどまれました。そして死に物狂いで働きました。あきらめずに頑張ってきて本当に良かったと思っています。」

 そう語る社長さんの目は涙で潤んでいました。

 過去の偉人たちは、成功の秘訣を次のように語っています。

「私の最大の光栄は一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きあがることである。」(イギリスの作家ゴールドスミス)

「成功の秘訣を問うな。なすことは一つ、全力を尽くすことである。」(アメリカの実業家ワナメーカー)

「成功に秘訣というものがあれば、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。」(アメリカの自動車王ヘンリー・フォード)

 これらの名言は、まさにその社長さんへの賛辞です。さらに、次の格言に象徴されるその社長さんの生き様は、私たちへの大きな励ましと希望でもあります。

「天は自ら助くる者を助く。」(イギリスの諺)

「神に祈れ、だが岸に向かって漕ぐ手を休めるな。」(ロシアの格言)

 天の助けを心から信じ、心から頼り、そして自らの最善を尽くす者に、天は必ずや助けの手を差し伸べ、道を開いて下さると確信しています。この社長さんの生き様は、その確かな証そのものです。

 自分自身と明日を信じて、決してあきらめずに前進しましょう!

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2014年06月07日

「神はあなたの苦難を聖別してあなたの益としてくださる!」

シクラメン01.jpg 私の中学の頃の先輩に心から尊敬するすてきな女性がおります。

 どのようなときでも笑顔を絶やさず、周りの方々への細やかな心遣いを自然な形で行いに示し続けるとても優しい方です。周りの方々の幸福そうな笑顔が、そしてそれをもたらすべく小さな親切の手を伸べることが、自身の一番の喜びと感じているようです。

 以下の助言を文字通り地で実践している二児のお母さんです。
すみれの花01.jpg「喜びを得るための鍵は、人のために奉仕することです。……自由意志とは、わたしたちが熱心に努め、自らの意志で意義ある奉仕の業を行なうための力です。」(ゴードン・B・ヒンクレー大管長)

 いつも明るい笑顔を振りまく彼女ですが、様々な人生の厳しい憂き目を何度となく味わってきました。口に尽くせない辛い挫折を幾度となく経験してきたのです。でも持ち前の明るさと笑顔を決して失うことなく、その度に失意のどん底から這い上がってきました。

白百合01.jpg それらすべてに追い打ちをかけるように2番目の息子がダウン症で生まれたときにもそうでした。

 一時期は、障害を持つ夫と共にお互いに自分自身を責め、すっかり打ちのめされてしまいました。それでも主への祈りの中で顔を上げ、涙を拭いて、笑顔を取り戻し、黙々と奉仕活動に携わっています。2人の息子たちになお一層の愛情を注ぎつつ……。

 十二使徒のデビッド・A・ベドナー長老は次のように語っています。

金木犀01.jpg「主の憐れみはきわめて個人的です。それは主イエス・キリストから、主を通じて、一人一人の必要に応じた祝福、強さ、守り、確信、導き、愛と思いやり、慰め、支え、そして霊的な賜物として注がれます。主だからこそお与えになることができるのです。主はまさに『人の子らの状態に応じて憐れみを施』されます(教義と聖約46:15)。」

「救い主が一人一人のもとに来られる方法の一つは、主の豊かで深い憐れみによります。例えば、皆さんやわたしが人生で問題や試練に直面するときに与えられる信仰という賜物と、そのときに必要な自分の能力を超える自信は、主の深い憐れみを表しています。悔い改めや罪の赦し、良心の平安も、主の深い憐れみの一例です。また、物理的な限界や霊的な困難に直面するときに、忍耐と不屈の精神をもって元気に前進できるのも、主の深い憐れみによるものです。」

 彼女はまさにイエス・キリストの贖いを通じてもたらされる主の恵みに心癒され、主の深い憐れみにより力を得ていらっしゃいます。

 祈ること以外に何ら助けの手を伸べることの出来なかった私の思いは、C・S・ルイスのまさに次の言葉そのものでした。

鈴蘭01.jpg「私は非常な苦しみを受けている人々の中に、魂の大いなる美しさを見た。ほとんどの人々が、日を経るにつれて大きく成長していく。落ちていくのではない。そして遂にその苦しみが最悪の条件の中から不屈の精神、愛と素直な心という宝を生み出すのを見た。」

 彼女の人生は、次の聖句に象徴されます。

「さて、ヤコブよ、わたしはあなたに告げる。あなたは、わたしが荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子である。見よ、あなたは、……ひどい苦難を味わい、つらい思いをした。しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」(モルモン書2ニーファイ2章1〜2節)


 彼女は賢人たちの以下の言葉を骨の髄まで深く理解し、今日も同じように寒さに震える方々へ温かい励ましの手を差し伸べています。寡黙に異物の痛みに長く耐えつつそれを嘆くことなく美しい宝に変えるあの真珠貝のように……。
「真珠貝−異物を美しく貴い宝へ」

「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」(ホイットマン)
カキツバタ01「今日私が目にする最大の奇跡は、病める者の癒しではない。そうではなく、心に悩みを持ち、落胆し、取り乱し、挫折し、そしてその挫折する一歩手前にある人々への助けである。」(ハロルド・B・リー大管長)

 頭で理解していても、同じように行動するのは私たち凡人には簡単なことではありません。自分の至らなさや不甲斐なさに心沈むことしばしばです。

 でも差し伸べる温かい手をもっている人がこの世の中にいると知ることは、本当に大きな慰めとなり励みになります。

「神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」
(モルモン書2ニーファイ2章1〜2節)

posted by HappyLifeRealize at 23:38| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月04日

「大親友の訪問−心の清い人は神を見るであろう!」

愛する子供たちへ

 今日は、沖縄の友人が分かち合って下さった「大親友の訪問」というすてきな心温まる物語を紹介します。皆さんも、きっとそのような大親友の訪問を是非受けたいと思うことでしょう。
教会堂01.jpg
 「大親友の訪問」

 ある日の昼頃、牧師は礼拝堂に誰か祈りに来ているかどうか、ちょっと覗いてみようと思い、礼拝堂の中に入っていきました。ちょうどそのとき、扉が開き、ひとりの男がやってきました。その男の顔に無精髭が伸びているのをみると、その牧師は眉をひそめました。

 彼のシャツは薄汚れており、上着はヨレヨレで擦り切れていました。男はひざまづき、しばらくの間、頭を垂れ、そしてすぐに立ち上がって出ていきました。

老人の祈り01.jpg その日以来、その男は毎日正午になると決まって礼拝堂に現われました。そして30秒ほどひざまづくのです。手には弁当箱とおぼしき袋を持って……。

「強盗にでも入る隙を狙っているのだろうか?」いぶかしく思った牧師はある時ついに男を呼びとめて尋ねました。

「君、ここで一体何をしているのかい?」

 彼は教会からやや離れた工場で働いていました。30分だけの昼休みを利用して、力と元気を得るために、毎日ここに祈りに来ていたのです。

祈りの手01.jpg「ほんのちょっとしかいられないんですがね、なにしろおいらが働いている工場はこの教会からはちょっと離れているもんで。ここにこうしてひざまづいてね、神さまにこんな具合に祈るんでさぁ。『神さま、これが言いたくてまた来ました。あなたさまがおいらの罪を取り除いてくださって以来、おいらはずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。あなたさまがおいらの大親友になってくださって、すごく嬉しいんです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないんですが、とにかく神さまのこと、毎日思っていますよ。だから、イエスさま、ジムです、顔出しに来ました。』」

 いらぬ疑いを持ったことを恥ずかしく思いつつ、牧師はジムにいいました。「そうですか。それは大変素晴しいことですね。これからもいつでも祈りに来て下さい。」

「さぁ、もういかなくちゃ。仕事に遅れちまったら大変だ。」

 ジムはにっこり笑うと大急ぎでその場を立ち去って行きました。牧師はジムがいつもするように、祭壇の前にそっとひざまづきました。こんなことをするのは初めてでした。彼の冷えていた心はときほぐされ、主の愛で満たされていくのがわかりました。頬を涙が伝うのもかまわず、彼は小さな声でジムの祈りを繰り返してみました。

「神さま、これが言いたくてまた来ました。あなたさまが私の罪を取り除いてくださって以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないのですよ。あなたさまが私の大親友になってくださって、すごく嬉しいのです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないのですが、とにかく神さまのこと、毎日思っています。だから、イエスさま、私です、顔を出しに来ました。」

1匹の羊01.jpg ある日の午後、牧師はまだジムがその日は来ていないことに気付きました。そしてジムが現われない日は何日も続きました。心配した牧師がついに工場へ行きジムのことを尋ねると、ジムは病気で入院していたのです。

 病院では医者や看護婦たちがジムのことを噂していました。彼には花はおろか、電話一本、カードの一通も送られてこない、見舞客も一人も来ない、それなのに、ジムはいつも笑顔で喜び一杯なのです。しかも彼の喜びは回りにいる人達にも伝染して、ジムが入院して以来、その病棟の雰囲気が一変してしまったのです。病院にかけつけた牧師は、ベッドに横たわっているジムのかたわらに立ち、言いました。

「看護婦さんたちはみんな不思議がっていますよ。付き添いも見舞いも全然ないのにあなたがいつも嬉しそうにニコニコしているから……。」

「看護婦さんたちは間違えているんでさぁ!まぁわからないのも無理はないですがね。毎日、昼になるとね、あの方が来て下さるんですよ。おいらの大親友のあの方が。牧師さんならわかるでしょう?あの方がね、ほらここ、ここんとこに座って、おいらの手を握ってね、こういうふうに言ってくれるんですよ。
イエス・キリスト03.jpg『ジム、これが言いたくてまた来ましたよ。私があなたの罪を取り除いて以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。私はあなたの大親友になってすごく嬉しいんです。私はあなたが祈るのを聞くのが大好きです。とにかくあなたのこと、毎日思っていますよ。だから、ジム、イエスです、顔を出しに来ました。』」■

 日々の生活の中で、主の訪れを霊の眼で見極め、主の声を霊の耳で聞き分けられたらどんなにすばらしいことでしょう。そして、ジムのように幼子のような清い心を心から得たいと望んでいます。(おやじより)

「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。」(マタイ5章8節)

最初の示現01.jpg「また、あなたがたがわたしの栄光にひたすら目を向けるならば、あなたがたの全身は光に満たされ、あなたがたの中に暗さがないであろう。そして、光に満たされるその体はすべてのことを悟る。それゆえ、あなたがたの思いがひたすら神に向いたものとなるように、自らを聖めなさい。そうすれば、あなたがたが神を見る日が来る。神はあなたがたにその顔を現すからである。それは神自身の時に、神自身の方法で、神自身の思いに従って起こる。」(教義と聖約88章67〜68節)



posted by HappyLifeRealize at 01:09| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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