2014年05月31日

「天に真っ直ぐに伸びる竹から学ぶ−魂の節」

 私は竹が大好きです。

 竹は天に向かって真っ直ぐに伸びます。どんなに強い風にあっても、風に身を任せ、大きくしなりながらもなかなか折れず倒れません。

 木の仲間であるにもかかわらず中身は空っぽ。でも、一見弱々しそうですが、釣り竿として使われていることからも分かるように強さは半端ではありません。 

 同じ太さであれば、その強さは普通の木の枝の比ではありません。

 いわゆる柔らかな強さです。柔和・謙遜な人の強さに似ています。

 いったい、その強さの秘訣はどこにあるのでしょうか。

 色々あると思いますが、私はその強さの鍵のひとつが「竹の節」にあると考えています。

 伸びる度に増えていく竹の節。その節こそがどんなに風に吹かれ曲げられても簡単には折れることのない強さの要であり基となっているのです。

 まさに、人生の苦難を乗り越えるたびに人の魂に深く刻まれ築かれる「不屈の精神」や「自信」、「あきらめず・投げ出さずにやり抜く力」のようなものです。

 私はそれを「魂の節」と呼んでいます。

 世知辛く厳しい今の世の中、でも厳しい毎日の生活の中で、御父の恵みを受けつつその「魂の節」を自らの内に増やせるならば、私たちは竹のように簡単に折れず倒れません。そして、真っ直ぐに力強く天に向かって伸びることができます。

 モルモン書の中で預言者エテルは次のように語っています。

「もし人がわたしのもとに来るならば、わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために、人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」(エテル12章27節)

 新約聖書の中でもパウロは次のように語っています。

「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(1コリント10章13節)

 この世で私たちが直面するあらゆる困難や試練、そして自らの内なる弱さは、私たちを決してつまずかせるものではなく、それらに耐える力と逃れる道を備えなおかつ強さを与えて下さる御父の御旨に柔和・謙遜に従う中で、自らの内に「魂の節」を作る助けとなり、実際に乗り越える能力を増し加える助けとなるものです。そして私たちを御父に近づかせてくれます。

 さらに、モルモン書の中でリーハイが息子ヤコブに語ったように、御父の豊かな恵みに与れるように助けてくれるのです。

「さて、ヤコブよ、わたしはあなたに告げる。あなたは、わたしが荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子である。見よ、あなたは、幼いとき、あなたの兄たちが乱暴なためにひどい苦難を味わい、つらい思いをした。しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」(2ニーファイ2章2〜3節)

 私は、難しい問題や壁にぶつかるとき次のように考えることにしています。

「『竹の節』のように、『魂の節』を作るチャンスがやって来た……!」




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2014年05月27日

「陶器師(匠)の心と技の結晶−有田焼」

 先週の月曜日から火曜日にかけて、会社の出張で佐賀県の有田町へ出かけました。今年の夏に予定されているアメリカや韓国、グァムの職員を招待して開催される職員会議の準備のための視察と調整が目的です。1週間続く会議の中で、外国から来られる職員の皆さんに1日だけ有田焼の陶磁器作りに挑戦して頂く予定です。その中で、日本の伝統文化に親しみ、相互理解と友好を深めてもらおうと計画を進めています。

 重要無形文化財十四代目酒井田柿右衛門さんの窯、展示場・参考館および倉島泰山窯等を訪問し、匠の技を堪能しました。その道を極めた匠の手になる作品に感動、感動、感動の連続でした。

 倉島泰山窯では、窯主の前田忍さんが親切にも作業場内を案内して下さり、作品の作成工程を詳しく丁寧に説明して下さいました。                      
        倉島泰山窯の前田忍さん

 単なる土が、匠の手により均整の取れた美しい形に整えられ、心を魅了する色鮮やかな絵柄が描かれる中、新たな命を吹き込まれたすばらしい芸術作品へと生まれ変わっていきます。作品が窯から出される時は、まさに感動の瞬間です。しかし、それ以上に、前田さんの私たちをもてなす温かな心遣いと真心込めて質問に答える誠実さや優しさに感動を覚えました。そのような美しい心や人柄が、ひとつひとつの作品ににじみ出て、見る者の心を動かすのだと感じました。 

 それぞれの作品には、人の心を掴み、感動させるすばらしい魅力が秘められています。それは作品を作る匠の人間そのものの魅力でもあり、努力の顕現でもあります。そういう意味で、すばらしい作品のひとつひとつは、陶器師(匠)のまさに「心と技の結晶」です。

 聖書のイザヤ書には次のように記されています。

「主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。」(イザヤ18章6節)

「主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」(イザヤ64章8節)

 私たちは皆、私たちを無限の愛で見守り、養い育んで下さる「永遠の陶器師」−御父の御手になるわざです。私たちの魂を練り上げ、高みへと押し上げて下さる御父の教えを熱心に学び、その真理に基づいた教えを心から愛して御旨を実践する時、その御手に使われる器、すなわち人々をキリストのみもとへ導く器となることができると確信しています。そうあれるよう心から努めたいものです。

<有田焼>     〒844-0017
「倉島 泰山窯」   佐賀県西松浦郡有田町戸杓丙736
窯主:前田忍さん  TEL:0955-42-3556(代表)
             FAX:0955-42-5176



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2014年05月20日

「超純鉄−無限の可能性を秘めた奇跡の鉄」

 みなさんは「純鉄」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

「純鉄」とは錆の原因になる硫黄やマンガンをはじめ炭素や窒素、酸素などの不純物が0.5%未満すなわち純度99.5%以上の鉄のことをいうそうです。おもしろいことにこの「純鉄」は錆びにくいのです。

 インドのニューデリー市郊外のクトゥプ・ミナールと呼ばれている寺院の中庭には、紀元415年に建てられたと伝えられる高さ7.5メートル、重さ6トンの鉄の柱があります。驚くなかれ、その柱は15世紀もの間ほとんど錆びずに屋外に立っているそうです。

 この柱は純鉄製と言われていて、誰がどのような技術でこのような鉄を精錬し、大きな柱を造って建てたかは解明されていません。世界の七不思議の中に数えられています。そしてこの鉄柱の純度は99.72%ということです。

 さらに最近、不純物を完全に取除く純鉄の研究が進み、99.9999%の純鉄を造る技術が開発されました。この技術により造られた純鉄の化学的な性質は、私たちの鉄に対する常識を完全に覆すほどの特殊なものです。以下の通りです。

 1.白金のように輝き、大気中に1年以上放置しても錆びない。
 2.0.001モル濃度の食塩水に2時間浸した時、99.995%の鉄では錆びるが、99.999%の純鉄では錆びない。
 3.塩酸や硫酸にも溶けず、王水のみに少しずつ溶ける。
 4.非常に柔らかく、延性、展性にも優れ、加工性が高い。
 5.他の物質との合金による、新素材の可能性が非常に高く、無限の可能性を秘めている。

「鉄は強いが、錆びやすく酸にもろくも溶けてしまう」というのがこれまでの常識です。しかしながら、超純度の鉄すなわち本来の鉄は決してそうではないのです。

 私たち人間も、それぞれに沢山の弱さや欠点、弱点を身に負っています。消極的な思いで心が曇り、ふさわしくない行いで気持ちがふさぐこともあるでしょう。しかしながら、主の目に適わないすべての不純物を取り除くよう努め励み続けるならば、単なる「鉄」のような凡人の私たちでも、上記のような「超純鉄」の特殊な性質に比肩し得るすばらしい特質を手にし、まさに無限の可能性を引き出せるようになると確信しています。

 モルモン書の中で、モロナイは次のように語っています。

「まことに、キリストのもとに来て、キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み、勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば、神の恵みはあなたがたに十分であり、あなたがたは神の恵みにより、キリストによって完全になることができる。」(モロナイ書10章32節)

 モロナイの言葉は、私たちの内にある、神の御心に添わないすべての不純物・不信仰を一掃できるならば、人は純鉄のように内に秘められた恐ろしいほどの可能性を引き出し、伸ばし、開花させることができるという大きな希望を与えてくれます。

 純鉄のような自分になろうと努め励む時、私たちは以下のような徳質を自らの内に持てるようになることでしょう。

 1.白金のように喜びで顔を輝かせ、
 2.心の錆びすなわち心の衰えを少しも覚えることなくすべての事柄に積極果敢に取り組めるようになり、
 3.どのような艱難や苦難、試練にもくじけずに乗り越えて、
 4.主の御手に柔和謙遜に使われる器、練達した働き人として大いなる業を行えるようになり、
 5.文字通り、全能の神の息子娘として無限の可能性を引き出し、自他ともに祝福できるようになる。

 そして主を真に知るようになり、人生における真の成功と幸福、そして永遠の生命を得られるようになるのだと確信しています。

 みなさんは、この純鉄と同じように、自らがあの全能の神の息子や娘であり、その内に無限の可能性を秘めた存在であること、あらゆる事柄を知り、あらゆる奇跡を行い、不可能を可能に変えることの出来る御方の文字通りの子供であることを本当に信じていますか?

 私たちも主の助けを受け、それが主の御心であるなら、どのような不可能と思われる事柄でも可能に変える力を内に秘めていることを、そして信仰によってそれを現実のものとすることが出来ることを本当に信じていますか?

 信じていると思います。私もそのような確信をさらに深め、文字通り主の豊かな恵みに与れるよう心から努め励みたいと願っています。

 この地上に住むすべての人は、神から深く愛されている大切な神の息子・娘です。神はすべての息子娘が永遠の完全な幸福を得てほしいと切に望んでおられます。それ故にこの末日の世に黙示者ヨハネに示された永遠の完全な福音と神権をこの地上に回復されました。(黙示14:6〜7)すでに亡くなられた先祖の方々も含め、主を受け入れて、その教えに忠実歩むすべての神の息子・娘たちが神のみ元へ戻ることができるよう、必要な完全な真理を私たちに知らせるためです。

 私はすべての人々がこの回復されたイエス・キリストの完全な福音を知り、その真理に基づいた教えに従って永遠の幸いを得てほしいと心から切に願っています。

 以下のサイトで、回復されたイエス・キリストの教会について知ることができます。以下の画像もしくはテキストをクリックして下さい。

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2014年05月18日

「パパの時給−心洗う幼子の純粋な愛」

 愛する子供たちへ

 今日は、沖縄に住んでいた時の温かい思い出とお父さんが最近感動した1本の動画を紹介します。幼子の純真さや純粋な愛が人の心を洗うすばらしいお話しです。まずは沖縄での温かい思い出から……。

 ある日、三人の孫を預かったオバーが、ひとりの乳飲み子をだっこしています。

 3歳になるお姉ちゃんは、オバーを弟にとられたと思って自分もだっこしてくれるようにオバーにせがんでいます。ところが、二人を同時に抱きかかえられないオバーは困ってしまいました。

しばらくその様子を見ていた5歳のお兄ちゃんが、だだをこねるその妹を顔を真っ赤にしながらだっこしてあげたのです。

 妹は初めは不服そうにしていましたが、そのうちお兄ちゃんの首に腕を回し、ほっぺたをお兄ちゃんのほっぺたにくっつけて静かになりました。

 見ていた私自身も心を本当に強く動かされました。

 幼子の、親の求めに素直に従う純真さ、身内の気持ちを察して行動する純粋な優しさには、見る者の心を洗う大きな力があります。

 その時オバーが感じた気持ちは、私が感じた気持ち以上のものだったに違いありません。体の中のすべてが再新されるような、とても温かで、本当に誇らしい気持ちです。そしてそれは確かに、オバーの身も心も若返らせるまさに長寿の薬なのだと思いました。

「乳子も抱き 抱っこねだられ よわるオバー 面染め妹負う 吾孫誇らし」

 さて、次はこの5歳のお兄ちゃんを彷彿とさせるような、温かい気持ちを感じさせる動画です。感動で心が震えました。みんなにも分かち合いたいと思います。タイトルは、「パパの時給」です。

<「パパの時給」>


 幼子たちは、まさに天使です。その心の純真さゆえに、またその純粋な愛ゆえに、私たちの心を洗い清めるために御父が私たちに贈られた天よりの賜物です。聖書にも次のように記されています。

「そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。するとイエスは言われた、『幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である』。」(マタイ19章13〜14節)

「また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」(マタイ18章5節)

 このような幼子の持つ純真な心、純粋な愛の徳質を私たちも得て、いつも保てるように努め励みたいものです。(おやじより)

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2014年05月16日

「子羊が売られた日−オークション」

 一月ほど前の晩遅く、一番下の高校1年生の娘が、パソコンに向かって仕事している私の元へやって来ました。そして次のように言いました。

「お父さん、英語の宿題があるんだけど助けてくれない?」
 私は彼女の方を振り返り、「どれ、見せてごらん」と言いながら渡された1枚の紙に目をやりました。

 タイトルは「The Auction」と銘打たれてあります。娘は、「一通り読んだのだけど、確認するためにお父さんに訳してもらいたいの」とお願いしてきました。

 急ぎの仕事に取り組んでいた私は、娘にその旨を伝え、ボイスレコーダーを回しながら、一文一文を逐語訳して録音してもいいか確認し、そして始めました。

 しばらく翻訳を続けていましたが、途中から感動で胸が詰まり、涙が溢れてきました。声が震え、詰まり、そして翻訳ができなくなってしまいました。

 涙をぬぐっている私に気づいた娘は、「あ〜〜!お父さんまた泣いている〜!」と微笑みながら揶揄し、「お父さん本当に泣き虫だからね〜!」と追い打ちをかけました。

「いや〜、本当に感動した!……お前、お父さんを泣かせるために翻訳お願いしたんじゃないの?」と一言返しましたが、ばつの悪さと感動と娘の「してやったり」との思惑が交錯し、結局、真夜中に娘と二人で腹を抱えて大笑いしました。

 さて、その文章のおおよその内容は以下の通りです。みんなも読んで、感動して、泣いて下さい。

「オークション」
「ケイティ−・フィッシャーは興奮していました。7月15日は、動物オークションの日です。「今日は私の子羊を必ず売るわよ!」と彼女は心の中で思いました。17歳のケイティーは、オハイオ州マディソン郡にある農場で暮らしています。その日、郡内の農場の子供たちが、会場に自分の最高の動物たちを連れて来ていました。子供たちは連れてきた動物を最も高い値段をつけた農場経営者に売るのです。「私の子羊に良い値段がつくといいな」と、ケイティーは思いました。

 その日の午後、ケイティーは自分の子羊と一緒に会場の中央に歩いて行きました。人々が彼女を見た時、皆が驚きました。彼女には髪の毛がなかったのです。化学療法によってすべて抜け落ちてしまっていました。癌を患っていたのです。その治療が功を奏し癌の進行を食い止めたおかげで、ケイティーの病状はかなりよくなっていました。しかしながら、彼女の両親は多額の治療費を支払わなければなりませんでした。ケイティーは自分の子羊を売って、その治療費のいくらかを支払いたいと思っていたのです。

 競売人はケイティーについて少し紹介しようと決めました。「こちらの若いお嬢さんは癌の治療費を支払うためにお金が必要なのです」と競売人は言いました。「彼女の子羊に是非良い値段をつけてあげましょう。」それから、競売人はオークションを始めました。

「この子羊1ポンドに誰が1ドルつけて下さいますか?」彼は始めました。
「1ドル!!」一人の農場経営者が言いました。
「1ドル来ました!」競売人は言いました。
「さぁ、1ポンドに2ドルつけるのは誰でしょうか?」
ひとりの農場経営者が言いました。「2ドル!!」
競売人は続けて「2ドル出ました! さあ3ドルの方はいませんか?」と言いました。

 競売人は引き続き羊の価格を上げようとしました。その場にいた農場経営者たちはそれに呼応して価格を上げ続けました。そしてついにケイティーの子羊は1ポンド12ドルにまでなったのです。

 ケイティーは本当に喜びました。子羊の通常の価格は1ポンド2ドルがいいところなのですが、彼女の子羊は1ポンド12ドルで売れたのです。彼女はその売れた子羊を競り落とした農場経営者に持っていきました。その人はケイティーにお金を支払った後、驚くようなことを言いました。「子羊はとっておいていいよ。またオークションにかけなさい。」

 ケイティーは、驚きと喜びに包まれながら、子羊を連れて再びオークション会場の中央に戻って行きました。競売人は微笑みながら、「さ〜て、この子羊をもう一度売らなきゃならないね」と言いました。2人目の農場経営者は、1ポンド8ドルで買ってくれました。

 競売人がこの子羊を2度目に売った時に、またもや驚くべきことが起きました。会場にいた農場経営者やその家族たちは「もう一度! もう一度!」と言って叫び出したのです。ケイティーが子羊を競り落とした2人目の農場経営者に持って行った時、彼は支払いながら、「みんなが言ってることを聞いてるでしょ。子羊を持って行ってもう一度売りなさい」と笑顔で言いました。

 ケイティーは、子羊を連れてオークション会場の中央にまた戻って行きました。会場はさらに湧き出しました。そして競売人はケイティーの子羊を繰り返し何度も何度も売ったのです。そして競り落とされるたびに、会場は「もう一度! もう一度!」と騒ぎ立てました。

 その日の午後、オハイオ州マディソン郡のオークションにおいて、ケイティーは同じ子羊を36回も売ることになりました。36人の競り落とした農場経営者は、全員ケイティーにお金を支払いましたが、誰一人として子羊を受け取りませんでした。結局ケイティーは16,000ドルを手にして家路につきました。そのお金は彼女のすべての医療費を支払うには十分な金額でした。そしてさらに彼女は自らの子羊も連れて帰ったのです。」■(「The Auction」)

 主は次のように語りました。
「すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。」(マタイ25章40節)

 モルモン書の中のベニヤミン王も次のように語っています。
「そして見よ、わたしがこれらのことを語るのは、あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち、あなたがたが同胞のために務めるのは、とりもなおさず、あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである。」(モーサヤ書2章17節)

 助けや励まし、慰めや支えを必要としている隣り人に手を差し伸べることは、すなわち主に仕えることになると教えています。暗く厳しい今のこの世の中、でもケイティーに温かい助けの手を差し伸べた農場経営者たちのような人々がいる限り、この世から希望がなくなることはありません。

 真の救いは、「神について」あるいは「福音について」どれだけ沢山の知識を持っているか、あるいはどれだけ沢山の良い行いをしたかではなく、(もちろんそうであることはとても大切ですが……)それを通して真に「神を知り」、自らがいかなる人物に「なっている」か、いかに高潔な人格を築き、主に似た者に「なっている」か、それによって決まるのではないかと感じています。未熟な凡人の私にとって、雲の上の宝を掴むような思いもしますが、あの心優しい人々のような生きた模範がある限り、希望がなくなることはありません。

 私たちが、神を愛し、真理に基づいた神の教えを愛し、その御心を行うために喜んで犠牲を払い努め励む限り、神がケイティーに注がれたような驚くほどの計り知れない「神の憐れみ」を私たちも頂き、永遠の生命に至ることができるようになれるという希望もなくなることはないのです。

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2014年05月13日

「5つのあめ玉−父親の心を変えた幼子の純真さ」

 私たちが沖縄に住んでいた頃、自営業を営む一人の尊敬する先輩からいつも多くのことを学びました。

 今日は、その先輩の子供たちが幼かった頃の心温まるエピソードを紹介します。

 彼は、少し口げんかが多くなった幼い3人の息子たちに、兄弟が互いに仲良く何でも分かち合い協力できるようなより良い関係を育んで欲しいと願い、彼らを自分の元に呼びました。特に長男にひとつの課題を与えて考えさせ、それから一緒に話し合おうと考えていたのです。

 彼は長男に5つのあめ玉を渡し、それを兄弟3人で分けなさい、もちろんどのように分けるかはあなたに任せますと投げかけました。

 彼の予想では、長男はまず1個ずつを弟たちに与え、あとの3個を自分のものとするだろうから、それを踏まえて持論を展開するつもりのようでした。

 ……ところが結果は予想と全く違うものとなりました。

 その長男は少し考えた後、2人の弟にあめ玉を2個ずつあげて自分は残りの1個を本当に美味しそうに食べたのです。

 それを見ていた父親である先輩は、非常に感激し、彼の言葉を借りれば「自分の中の何かが非常に強く大きく変わるような感動を覚え、持っていたすべてのお菓子を長男にあげたい」と思ったようです。

 しばらくは理性で持ちこたえていましたが、結局は気持ちを押さえ切れず全部のお菓子を長男に渡し、兄弟3人で分けさせました。

 危うくこぼれそうになった涙を息子たちに見られないように必死にその場を取り繕いながら……。

 もちろんその後の予定していた彼の話もキャンセルです……。

 先輩はとても嬉しそうに次のように言いました。

「今回は息子に全く一本やられ、逆にこちらが学びました。まさに釈迦に説法でした……。」

 マタイの福音書には、次のように記されています。

「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか』。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。』」(マタイ18章1〜4節))

 純真な幼子の思いやりある小さな行為が、いかに人に感化を与えその心を動かす力を持つものであるかを改めて確認できた温かい話でした。

 幼子の持つそのような純真さをいつまでも持ち続けたいものです。

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2014年05月12日

「『才能』−自らの内なる可能性を信じる力」

 以前に西日本新聞の「アルガママニ」というコラムに、作家である辻仁成(つじ・ひとなり)氏の「才能」と題する記事が載りました。

「才能とは、ものごとを巧になしうる生まれつきの能力」との定義に異を唱えつつ、次のように記してありました。

「(『才能』とは、)『才能』という言葉の重圧の中で、現実を掴む努力を必死にやり遂げた人に、後から付けられる冠のようなものじゃないかと思う。……言えることはただ一つ、尽きぬ努力と自分を信じることの先にこそ才能があるということであろう。……『才能』という言葉に振り回されて、実は多くの人が、その人の中に眠っている鉱脈を発見できずに諦めたのではないか、と私は想像する。……だから、私は諦めない、と自分に言い続けて生きてきた。」

ゴーリキー01.jpg 本当にすばらしい考え方、そして生き方だと感銘を受けました。ロシアの作家ゴーリキーも、次のように語っています。

「才能とは、自分自身を、自分の力を信ずることである。」

 また、アメリカの実業家ジョージ・ジンは次のように語っています。

「自分を信じるというのは、 わかりきっていることのようだが、自分にしかできないことである。他人はそれを助けてくれるかもしれないが、信じるのはあくまでも自分自身である。」

 自分自身が、文字通り神の息子・娘であり、その内に無限の可能性が秘められていると信じることは、真の成功の鍵であり、この地上で最も重要な真の幸福を得る鍵のひとつだと思います。ドイツの文豪ゲーテも次のように語っています。

ゲーテ01.jpg「現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。しかし、人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう。」

 これは、私たちの周りにいる人々の真の成長を助ける鍵としての名言だけでなく、私たち自身を信じる、すなわち私たち自身の内に秘められた神の子としての可能性と神の属性を信じることによって、自分自身の内なる能力と徳質をも引き出し、伸ばし、開花させることができるとも教えていると思います。

 モルモン書の中のニーファイは次のように語っています。

「わたしたちは子孫と同胞に、キリストを信じ、神と和解するように説き勧めるために、熱心に記録し続けようと努めている。それは、わたしたちが自分の行えることをすべて行った後に、神の恵みによって救われることを知っているからである。」(2ニーファイ25章23節)

 神の子として、私たちの内に秘められた神の属性を自他共に信じ、最善を尽くすことは、すなわち永遠の生命に共に至るための重要な鍵でもあります。自分自身に秘められた内なる可能性、内なる能力、内なる神の属性を信じましょう。そして単に聖めだけでなく、人の能力を超えて達成する力を与える主の贖いの恵みに頼りつつ、神の憐れみと愛に頼りつつ、柔和・謙遜に、信じて自らの壁を乗り越えましょう。

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2014年05月11日

「祝福を引き寄せる幸福の五心」

 神様から喜ばれ、かつ私たちを幸せにする「心」なるものがあると思います。以下の5つの心です。ネットで見つけました。私は、それを「祝福を引き寄せる幸福の五心」と呼ぶことにします。

 1.「すみません」という反省の心
 2.「はい」という素直な心
 3.「おかげさまで」という謙虚な心
 4.「私がします」という奉仕の心
 5.「ありがとう」という感謝の心

 どんなに忙しい、難しい状況の中にあっても、この「幸福の五心」をしっかりと保ち、そして実践するならば、神様は私たちの手を引いて導いて下さり、豊かに祝福して下さることでしょう。凡人の私たちにとって、簡単なことではありませんが、心がけることはできます。

 神様は「教義と聖約」の中でも次のように語っておられます。

1.「すみません」という反省の心
「見よ、わたしはどこにいる人でもすべての人に悔い改めるように命じる。……福音を信じてイエス・キリストの功徳に頼り、イエス・キリストの名を信じる信仰によって栄光を得、また悔い改めることによって救われるためである。」(教義と聖約18章9節、3章20節)

2.「はい」という素直な心
「主なるわたしは、素直な心でシオンの地に上って行く者をだれも罪があるとはしない。主なるわたしは、人の子らの心を求めるからである。」(教義と聖約64章22節)

3.「おかげさまで」という謙虚な心
「あなたは謙遜でありなさい。そうすれば、主なるあなたの神は手を引いてあなたを導き、あなたの祈りに答えを与えるであろう。」(教義と聖約112章10節)

4.「私がします」という奉仕の心
「それゆえ、善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。そして、小さなことから大いなることが生じるのである。見よ、主は心と進んで行う精神とを求める。そして、進んで行う従順な者は、この終わりの時にシオンの地に良いものを食べるであろう。」(教義と聖約64章33〜34節)

5.「ありがとう」という感謝の心
「すべてのことを感謝して受け入れる者は、栄光を与えられるであろう。また、この世のものも百倍、いやそれ以上、加えられるであろう。」(教義と聖約78章19節)

 この「幸福の五心」をいつも忘れないで、小さくとも善い事柄を進んで行い続けるならば、「シオンの地の良いもの」すなわち神様のさらなる恵みと祝福に与るようになることでしょう。

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2014年05月09日

「めげない・へこまない・あきらめない」

愛する子供たちへ

mutekichi.jpg『ポコポッテイト』(Poco Potteito) は、2011年(平成23年)3月28日よりNHK教育テレビ(NHK Eテレ)の幼児向け番組「おかあさんといっしょ」内で放送されている着ぐるみによる人形劇です。主人公は、自称「ムテキのムテ吉」少年。「じゃじゃじゃーん」と言って登場し、「今日もごきげん元気、ムテキのムテ吉だーい」と挨拶します。「めげない・へこまない・あきらめない」がモットーで、このキャッチフレーズは主題歌の一部にもなっています。

ある主婦が、このフレーズが気に入って、失敗してへこんだ時は、このフレーズをよく口ずさんでいたそうです。そんな折、息子のひとりにからかい半分に「めげるし〜、へこむし〜、まちがえるし〜、けどあきらめない」と訂正されたそうです。そして次のように思いました。「なるほど〜、……これもいいかも……」と。

DealCarnegie1.jpgお父さんも「めげるし〜、へこむし〜、まちがえるし〜、けどあきらめない」は気に入っています。人間誰しも弱いもの、でも決してあきらめない限り道は開けるのです。ディール・カーネギーも次のように語っています。

「人は、自分で不可能だと思わない限り決して敗北しない」。

お父さんもその通りだと思います。イザヤ書には次のようにあります。

イエス・キリスト03.jpg「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。あなたの石がきは常にわが前にある。」(イザヤ49章15〜16節)

神様は本当に慈しみ深いお方です。文字通り息子・娘である私たちひとりひとりを深い慈愛を持って心にかけ、そして見守っておられます。「教義と聖約」の中でも神様は次のように語っておられます。

「わたしを早く求める者は、わたしを見いだし、見捨てられないであろう。」(教義と聖約88章83節)

JesusPeter.jpg恵みと慈しみに満ちた神様を心から求め、心から頼り、その御心を行うべく心込めて努め励む限り、神様は決して私たちを見捨てないのです。ですから何事にも神様に頼り、助けを求めつつ、決してあきらめないでチャレンジしましょう! すでに備えられた道が開かれることでしょう。(おやじより)

イエス・キリスト04.jpg    〔あ〕なたの望みは
      〔き〕っといつか
    叶え〔ら〕れるから
   何事にも〔め〕げない強い
     心でこん〔な〕んに
   立ち向かって〔い〕こう。
             幸


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2014年05月08日

「夢七訓」

愛する子供たちへ

ShibusawaEiichi1.jpg 幕末から大正初期にかけての日本の幕臣、官僚、実業家として活躍し、第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれた渋沢栄一氏は、次のように語りました。

「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」(「論語と算盤」22頁)

「事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。」(「論語と算盤」49頁)

 彼の偉大さの一端を垣間見るすばらしい言葉です。それはまさに福音の教えです。彼はさらに次のような「夢七訓」と呼ばれる名訓を残しました。激動期の日本を心血を注いで支えた偉人の重みある言葉です。言うは易く行うは難しですが、しっかり味わい私たちも実行しましょう。

      「夢七訓」

  夢なき者は、理想なし。
  理想なき者は、信念なし。
  信念なき者は、計画なし。
  計画なき者は、実行なし。
  実行なき者は、成果なし。
  成果なき者は、幸福なし。
  故に 幸福を求める者は、
   夢なかるべからず。

      渋沢栄一

 お父さんの夢は、すべての人が回復されたイエス・キリストの福音を知り、その教えに従って生活することにより、真の幸福と喜びを得ることです。そして最終的に永遠の生命の祝福に与ることです。(おやじより)

 回復されたイエス・キリストの教会に関する説明記事は以下のサイトにあります。是非ご覧下さい!

 回復されたイエス・キリストの教会
 http://blog.goo.ne.jp/happy_life_realize/

 以下のDVDは回復されたイエス・キリストの教会に関して理解を助けてくれます。

「イエス・キリストの福音の回復」


 以下のサイトで、回復されたイエス・キリストの教会について知ることができます。以下の画像もしくはテキストをクリックして下さい。


          <「イエス・キリストの教会の回復」>

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