2007年11月15日

「琉球いろは歌」−2(程順則)


soratoumi02.jpg今日は、程順則(ていじゅんそく)の「琉球いろは歌」第2弾「ろ」をお届けします。

以前にご紹介してご存知のように、程順則は、近世の沖縄を代表する人格教育者、文学者、政治家です。

特に教育に関して、彼が残した功績は非常に大きなものがあります。

「琉球いろは歌」に収められた彼の琉歌には、人として如何に生きるべきかを示す貴重な教訓がちりばめられていますよ。

今回は、その第2弾「ろ」です。(琉球では「ろ」を「ル」と発音していたため、初めの「櫓舵(ろかじ)」は「ルカジ」と読んでいます。)


<「琉球いろは歌」2−「ろ」>

    ルカジサダミティドゥ フニンハシラシュル
琉歌:櫓舵定みてど 船も走らしゅる

   スンポハジラスナ   チムヌタンナ
   寸法はじらすな 肝の手綱

意味:「船は櫓や方向舵を定めてから走らせるものである。人がこの世を生きていくときも目的を定め、心の手綱をしっかりと引き締めて、進む方向(目標)を見誤らないように注意することが大切である。」


目的や目標は、私たちの行動・活力の源です。

私たちは、目的や目標なくして行動を起こすことはできませんし、行動や効果的な働きなくして成功を収めることもできません。

もちろん目標を定め、それに向かって努力し続けることは必ずしもたやすいことではありません。

人は、時には失敗を経験し、挫折も味わいます。

初志を貫徹することはたやすいことではありません。

でも、大志を抱き、目標をしっかりと定め、どのような困難に直面しても決してあきらめず、粘り強く初心を貫きなさい。

順則のそのような励ましの声が聞こえてきそうです。

教育の重要性を痛感し、学校の設立を琉球国王に進言していた順則自身、様々な困難を乗り越え、その初志を貫徹しました。

「教育よりまず政治だ」と反対する勢力もいましたが、順則は決してあきらめず、「教育を高めてこそ、いい政治が行える」と粘り強く説得し続け、ついに1718年、琉球で初めての公立学校「明倫堂」が久米村にできることとなったのです。

ディール・カーネギーやマヤ・リンも次のように語っています。

「飛ぶためには、抵抗がなければならない。」(マヤ・リン)

「人は自分で不可能だと思わない限り、決して敗北しない。」(ディール・カーネギー)


困難や苦難は人をつまずかせるものではなく、成長させるものとなり得ます。

困難にぶつかっても、決してあきらめず「寸法はじらすな 肝の手綱」です。

目標を高く掲げ、心の手綱をしっかりと引き締めて、進むべき方向へ前進しましょう!

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2007年11月13日

「46年ぶりの奇跡の再会−2」


tsutsuji1.jpg沖縄のあるFM放送を聞いたという友人からの感動物語「46年ぶりの奇跡の再会」の続きです。


母の姉との46年ぶりの奇跡の再会を果たし、その女の子と母はハワイから帰国しました。

ハワイでの夢のような日々から現実に戻る2人ですが、あの強烈な感動はしばらく2人を温かく包みました。

母を姉に逢わせることができた、少しでも親孝行の真似事ができたとの自己満足にも浸れました。

そんな中、親子の会話の中で「次は、お父さんだね」という言葉がポロリと出てしまいました。

自分で口にした言葉に、彼女自身が驚きました。

「これはどういうことだろう」しばらく自問自答し、そして考え込んでしまいました。

そして彼女は決意したのです。

「母を父に逢わせよう」と。

思い立ったらすぐに行動に移すのが彼女の信条!

何を考えたのか、急に英会話教室に通い出しました。

お父さん探しは、本気らしい。

学生時代、一番に苦手にしていたのが、英語だったのですが……。

英会話教室に通っているのは、母親には内緒だったと言います。

彼女はその教室の講師に、親父について相談しました。

彼曰わく「何か、手掛かりはありますか?」

「まったくありません」と答えたのですが、

しばらく考えて、「そうだ!」と膝を叩くと一目散に家に走り出しました。

持って来たのが、一通の手紙と親父の写真でした。

すり減った手紙の上書きは、とても読みづらいものでした。

アメリカでは、住所と同様な働きする番号があるらしいのですが、その番号にしてもかすれて一数字みえません。

コンピュータに、考えられるすべての数字を入力していくと、それらしき番号にぶつかりました。

検索の結果、父親と同姓同名のリストがズラリと表示されました。

これまた根気強く、一件一件当たっていきました。

その気の遠くなるような作業の末、英会話講師がついに父親を見つけたのです!

まさに、奇跡でした!

「マリア、分かった。はい、お父さんだよ」と電話を渡されました。

「ええ…………っ!! 何と言えばいいの?」

「ハローと言えばいいよ。」

話せるはずもない彼女は、ただオロオロするばかり。

見かねた講師は電話を代わり、事情を説明、ついに再会の約束を取り付けてくれたのです。

奇跡は続くものですね!

今回は二週間の休暇を会社から頂き、父を訪ねて三千里、アメリカへ。

英語が話せない彼女だけでは心許ないということで、今回英会話の講師が同行してくれることになりました。

今年7月、彼女は、先発隊ということで、母親を連れずに英会話講師と二人で渡米。

自分と母を捨てた父親に対する憎しみは彼女の中にはすでになく、親父に会う時に一番心配し悩んだのが、自分が行くことによって父の家庭にヒビを入れないかということだけでした。

しかしながら、それも老婆心。

感動の再会の後、新しい奥さんを「お母さん」と呼ぶようになりました。

母が2人出来て、本当に嬉しいというのです。

次回には、沖縄の母を連れて渡米する予定だそうです。


現実は、まさに小説よりも奇なりです。

私自身の中には、父親に対する割り切れないものがまだ残っていますが、それを克服した彼女の赦しの心のすばらしさには感銘を受けました。

母への愛と感謝に根ざした恩返しの一念が生んだ感動の再会物語でした。

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「46年ぶりの奇跡の再会−1」


okinawapic1.jpg沖縄のあるFM放送を聞いたという友人から、少しうわずった声で感動物語を聞きました。

主人公は、ひとりの女の子です。

彼女は、小学生の頃は、「クロ」と言うあだ名で呼ばれ、中学校に上がり、さらに転校した学校では「ナ‐ビヌスク‐」(鍋の底)と言われ、心傷つく悲しい思いをたびたび経験してきました。

というのも、父が黒人の米兵、母は沖縄の女性、二人の間に生まれたのが彼女だったのです。

単なる肌の色の違いが、彼女をかくも厳しい境遇へ追いやる大きな要因のひとつとなりました。

さらに、彼女が乳飲み子の頃に、父親は母親を置いて米国に帰ってしまったのです。

そこから、親子二人だけでの想像を絶するような苦しい生活が始まりました。

生活のための度重なる借金、そして血のにじむような苦労の連続でした。

でも、苦しい中にあっても彼女は温かい母の愛情に育まれ、素直で明るい子供に育ちました。

大人に成長した彼女は、誠実な努力の証として今ではマンションを手に入れ、高級車に乗るまでに成功しました

極貧から這い上がり、豊かな生活を手にした彼女は、これまでの母親の御恩に報いたいと考えるようになりました。

彼女の母親は、4人姉妹の末っ子。

2番目、3番目の姉たちは去る大戦で死去。

一番上の姉は、アメリカ人と結婚してハワイへ。

しばらくは連絡し合っていたものの、その後は全くの音信不通となっていました。

そこで彼女は、母にとってただ一人の身内である母の姉を探し当て、母に合わせたいと考えたのです。

もちろん、母の姉を探す当てなど全くありませんでした。

あれこれ考えた末ひらめいたのが、ハワイでかなり盛んな沖縄県人会です。

「これしかない!」と確信した彼女は、早速行動を起こしました。

当地ハワイの県人会の方々に連絡を取り、母の姉の消息捜査を依頼。

その後粘り強く手がかりを求めます。

しかしながら、なかなか手がかりは見つかりません。

半ばあきらめかけていたまさにその時に、懸命に捜索を続けてくれた県人会から消息が分かったとの連絡を受けたのです!

彼女は、早速会社から一週間の休暇をいただき、母を伴ってハワイへ急行。

そこで、なんと46年ぶりの奇跡の再会を果たしたのです!!

涙、涙、涙……、感動、感動、感動……。

そして、喜び、喜び、喜び……、感謝、感謝、感謝……の一週間でした。

母を思う娘の祈り、切なる願いを、天はしっかり受け止め叶えてくれました!

幼い頃傷ついた心は、天が決して自分たちを見捨てなかったとはっきりと知る、この奇跡の再会により癒されました。

母への感謝とご恩返しの一念が生んだ感動の再会物語でした。

ところが、この物語には後日譚があるのです……!

さらに感動の後日譚、次回をお楽しみに!

posted by HappyLifeRealize at 16:27| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月08日

「黄色いハンカチ」


kiiroihana1.jpg今日、「黄色いハンカチ」というアメリカで実際に起こった出来事に関する記事を読みました。

めっちゃくちゃ感動して久しぶりに泣きました。

家内に話したら、「とても有名な話よ。同じような話が確か高倉健が主演する山田洋次監督の映画にもなっていたはずよ。」とのこと。

知らなかったのは、どうやら私だけみたい……です。(^_^;)

でも、それはどうでもいいんです。

まだ、聞いたり、読んだり、観たりしたことのない方、是非お読み下さい!

ちょっと長いのですが、本当に泣けますよ!!



1957年春の週末のある日、シカゴの下町にあるバスターミナルからセントルイス経由で南部に向かう1台のグレイハウンド長距離バスが出発しました。

中には、イースター休暇を故郷ですごすために数人の学生たちが乗りこんでいました。

身軽な服装で、ギターなどをかかえて、楽しい旅行に今出発したところです。

バスは快スピードでイリノイ州の豊かな農業地帯を南下します。

ところで同じバスにひとりの初老の男が乗っていることに、若者たちはだいぶ前から気づいていました。

そうとう痛んだ灰色の服を着て、荷物といったら薄汚れたボストンバッグひとつ。

疲れ切ったその顔は、物思いに沈んでいるようでした。

やがてバスは、とある小さな町の郊外にあるレストランの前に停車しました。

30分の間休憩です。

その間に乗客たちは昼食を食べるためにみんな車をおりました。

しかし例の男はひとりバスの中に残っていました。

やがて時間がきてバスは再び走り出しました。

車中はまたにぎやかになりました。

そしてふたたび休憩地に着いて、みんなは冷たいものを飲み、ハンバーグなどを詰め込みました。

今度はその男も車を降りましたが、店のすみでコーヒーを一杯すすっただけでした。

学生たちは、この男のことが少し気になり出していました。

「あれでお腹がすかないのかなあ。」

「お金がないのかしら……。」

ひとりの女子学生が思い切って声をかけました。

「おじさんサンドイッチをひとついかがですか。」

男は微笑して、ひとつ取り、礼を言いましたが、あとはどんなにすすめても、それ以上は取ろうとしませんでした。

こんなことがきっかけで、この口の重い男は手短にぽつりぽつりと身上話を始めました。

彼は過去5年間刑務所にいました。

3日前に仮釈放されたばかりです。

実は、5年前に彼は刑務所から妻に手紙を書いたのです。

「おれのような男を待つ必要はない。よい機会があったら再婚しなさい。ただ子供たちだけは愛してやってほしい。今後文通も必要ない。」

バスの中はしーんと静まり返ってしまいました。

学生のひとりがたずねました。

「それなのに、あなたは今、その奥さんの所へ帰ろうというのですか。」

男はいらいらしたようにこう言いました。

「釈放と同時に、私は何年ぶりかで、もとの住所宛で女房に速達を出しました。今でもそこに住んでいるかどうかもわからないんですがね。私はこのバスの時間を知らせてこう書きました。『もし迎えてくれるなら、村はずれの樫の大木にハンカチを結びつけておいてくれ』と。もしハンカチがなければ、私はこのまま乗り過ごして行くつもりです。」

今やバスの乗客はひとり残らず、彼の運命の瞬間を、胸を押しつぶされる思いで待ちました。

もう雑談する者もいなくなり、バスのエンジン音だけが快調に響いているだけでした。

やがて男がぽつりと言いました。

「次の村です。教会の塔が見えはじめたら、右側にやがて樫の木があるはずです。」

乗客はみな右側の座席に移り、じっと外をながめました。

バスが小さなカーブを切ると、遠くに教会の尖塔が見えてきました。

「ああ、私は見ることができない……。」とその男はうめくように言いました。

「おじさん、目をつぶってらっしゃい。私たちが見ています。」

男は目をとじて、何か祈っているようでした。

2分の後、バスの乗客は見ました。

夕焼けに映える空を背景にそそり立つ樫の大木を……。

その枝という枝に、何十枚、いや何百枚もの黄色いハンカチが、まるで黄金の花を満開に咲かせたように'結びつけられて、春の夕風にゆれて輝いているのを……。

バスの中には歓声とすすり泣きの声がわきあがりました。

運転手は、高らかにクラクションを吹き鳴らして、その木の前にバスを臨時停車させました。

学生たちがギターの伴奏で歌う「ゴーイング・ホーム」の歌声の中を、その男は涙でくしゃくしゃになった顔をふり向けて、「皆さん、ありがとう」「皆さん、ありがとう」とくり返しながら、バスをおりていきました。



「家族の愛」と「赦し」がいかにすばらしいものであるか、骨の髄まで味わい、再確認しました……。

posted by HappyLifeRealize at 18:53| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月07日

「ユーモアのない一日は、きわめて寂しい一日!」


akaihana1.jpg日本の代表的な自然主義作家である島崎藤村は次のように語っています。

「ユーモアのない一日は、きわめて寂しい一日である。」

陽気な沖縄で生まれ育った私にとって、大きくうなずける名言です。

そこで、今回はとびっきりスケールの大きなアメリカンジョークを紹介します。

笑って下さい。たくさん笑って元気になって下さい。

沖縄のオジーやオバーたちが長寿で元気なのは、「ナンクルナイサ〜(なんとかなるよ)」との楽観的な気持ちを持ちつつ、いつも何かにつけ人を笑わせ、自分も笑っているからです。

「笑い」が、健康と長寿の秘訣だというのは間違いありません。

さあ、笑いましょう!



「君はいま新しい仕事をやってるんだってね。」

「そうだよ。」

「何をやってるんだい?」

「農業だ。」

「何を栽培してるんだい?」

「いろんな種類の野菜さ。君には信じられないかもしれないけどキャベツなんかものすごく大きくてね、1度なんか軍隊が通りかかって急に雨が降り出したら、1連隊全部が一枚のキャベツの葉っぱの下で雨やどりしたくらいだ。そりゃそうと君は何してるんだ。」

「おれはボイラーの工場を経営してる。君は信じないかもしれないがこの前ボイラーをつくったときなど一台のボイラーは長さ3キロ、幅が2キロ半もあったんだ。」

「そんな大きなボイラー、何に使うんだい?」

「君が話してたそのキャベツ玉を料理するのさ。」



もっと面白いジョークを知っていたら、教えてくださ〜い。

笑いの輪を広げましょう!

posted by HappyLifeRealize at 23:31| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ジョーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

程順則(ていじゅんそく)−「琉球いろは歌」


soratotree1.jpg今回は、程順則(ていじゅんそく)シリーズ第3編です。

程順則は、5度にわたって赴いた中国において、師の陳元輔(ちんげんぽ)から様々な学問を学びました。

寝る間も惜しんで学ぶ順則の様子を見て、師の陳元輔は次のように彼を絶賛しました。

「程順則は学問に優れているだけでなく、心も広く考えが深い立派な人である。教えたことはすべて理解し、学問をするに値する人とは、まさに程順則のことだ。」

帰郷した程順則は、その後51さいの時に初めて江戸に上り、日本の著名な学者と交流しました。

教育の重要性を痛感している順則は、琉球に戻ると、かねて思案していた学校の設立を琉球国王に進言します。

「教育よりまず政治だ」と反対する勢力もいましたが、順則は「教育を高めてこそ、いい政治が行える」と粘り強く説得しました。

こうして1718年、琉球で初めての公立学校「明倫堂」が久米村にできたのです。

そこで熱心に教鞭を振るい、師弟の教育に力を尽くしました。

彼はまた、「六諭」が教える、人間としてよりよく生きるための指針、よりよい人間になるために必要な「心のあり方」を人々に分かりやすく伝えるために、多くの琉歌を残しました。

「琉歌」とは奄美・沖縄・宮古・八重山諸島に伝承される叙情的短詩形歌謡の総称で、短歌形式の琉歌は、八・八・八・六の30音からなる定型短詩です。

程順則が詠んだ数々のそれら琉歌を「いろは順」に編集したものが、いわゆる「琉球いろは歌」です。

次代を担う子供たちだけでなく、その教育に携わる父母や教師、指導者の「あるべき姿」をも指し示すその「いろは歌」は、まさに珠玉の教え−「黄金言葉」(クガニクトゥバ)といえましょう。

今後定期的に紹介していきますが、まずは最初の「い」の歌をご賞味下さい。


   イチンユシグトゥヤ ミ ヌ ウィ ヌ タカラ
琉歌:意見寄言や 見の上のたから

   ミミ ヌ ニ ユー アキティ チム ニ トゥミリ
   耳の根ゆ開きて 肝に留みり

意味:「他人から受ける意見や教訓は、わが身にとってはこの上ない宝である。だから、しっかりと聞いて忘れることがないように、心に留めておきなさい。」


私は、宮本武蔵が語ったとされる「我以外みな師なり」という言葉が大好きですが、順則の上述の歌には、その同じ精神が流れています。

周りのどのような者からも、人は学ぶことができるという謙虚な姿勢です。

たとえ目下の者であろうが、誰であろうが、語るその言葉の内に「真理」を見出すとき、それがどんなに耳が痛く、心を貫くものであっても、謙虚に耳を傾け、受け入れ、実行するという精神です。

本当にすばらしい徳質です。

変なプライドを捨て去り、自らの良心が「よい」と感ずるすべての良き事柄に素直に耳を傾け従うとき、人は真の幸福へ至るステップを踏んでいるのだと私も思います。

posted by HappyLifeRealize at 10:58| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 学ぶこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月06日

心の教育者−程順則の教え「六諭(りくゆ)」


soratoumi01.jpg昨日は、近世の沖縄を代表する人格教育者、文学者、政治家である程順則(ていじゅんそく)と彼が中国から持ち帰った「六諭衍義(りくゆえんぎ)」について簡単にご紹介しました。

今日は、その「六諭」についてもう少し詳しく説明します。

まず、昨日も少し触れましたが、程順則は4回目に中国を訪れた際、「指南広義(しなんこうぎ)」と「六諭衍義(りくゆえんぎ)」の2冊の本を琉球に持ち帰りました。

「指南広義」は、危険な航海が少しでも安全になるように思案した程順則が、天候や天文などについてまとめたものです。

「六諭衍義」は中国に昔からある道徳の本です。

やさしい言葉で書かれていて、中国語を学ぶためにもよいと考えた順則は、私費を投じて印刷し琉球に持ち帰りました。

その後、この「六諭衍義」は将軍吉宗の手にわたり、寺子屋の教科書として日本国中に広まったことは昨日述べた通りです。

それでは、以下に「六諭」について説明します。

とても分かりやすい内容ですので説明の必要はないのかも知れませんが、おおよそ次の通りです。


●<「六諭」>


■1.「孝順父母」−父母に孝順なれ

父母を敬愛し、その教えを大切にしながら人間として正しく生きる道を求めつつ自立すること、それによって父母に心の安らぎを与え、父母の愛に報いる努力を怠らないことが大切である。


■2.「尊敬長上」−長上を尊敬せよ

目上の人を敬うことは当然のこと、たとえ同輩や年若の人であろうとも、それぞれに互いの長所を認め合い、尊敬し合うこと、特に自分よりも技能の高い人や優れた能力を持っている人、常に誠実で思いやりの心をもち、物事に対して冷静に判断し、寛容の心をもって実践する人(徳の高い人)も長上として尊敬することが大切である。


■3.「和睦郷里」−郷里を和睦せよ

ふるさとの自然を愛し、人を愛し、みんなが思いやりの心、やさしい心をもって仲良く生きていくことが大切である。

そのためには、夫婦愛・家族愛を基盤として、郷里の皆が自分のわがままを抑え、相手の立場に立って物事を考え、判断し、互いにいたわり合い、助け合い、協力し合いながら楽しく生活していくこと、それが郷里の平和、世界の平和につながる道である。


■4.「教訓子孫」−子孫を教訓せよ

学問を大切にし、人間として生きていくために必要な基本的生活習慣をしっかり身に付けること、それによって、人としての大切な心を学び、強く正しく生きていく道を習得すること、そしてそれを子や孫にも模範によって教えることが大切である。


■5.「各安生理」−各生理に安んぜよ

人はもって生まれた境遇は変えられないが、努力によっていくらでもより良い人生を送ることができる。従って、自分の立場をよく理解し、目標を持ってねばり強く頑張り、達成した喜びを持ちつつ、自分のやるべきことをしっかり成し遂げることが大切である。


■6.「母作非為」−非為を作すなかれ

人として生まれた以上、人の道に反するような悪いことをしてはならない。また、悪いことを企てたり、考えたり、相談したりしてもならない。常に自分の行いを反省し、いつも善人の道を歩むことを心がけることである。さらに、悪い行いに気づいたり、注意を受けることがあれば、素直にそれを改める勇気を持ち、善い行いをする心が働くように努力することが大切である。

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2007年11月05日

「名護聖人」−程順則(ていじゅんそく)


teijunsoku1.jpg「あなたの最も尊敬する人は誰ですか?」と問われたとき、皆さんは誰だと答えますか?

私は、まず「私の両親」と答えます。

両親から受けた御恩はどのようにしても返すことはできないと常々思っております。

以前にも紹介した須永博士さんの次の詩は、私の両親に対する感謝の気持ちを代弁しています。

    父ありて我が強さあり
    母ありて我が優しさあり
    父母の姿いつも忘れられず
   いつも我が人生の心の支えなり
           須永博士

もちろんその他にも私に多くの助けと良き影響を与えて下さった尊敬する人々が大勢います。

今日はその中のお一人、このブロクで今後シリーズで紹介するつもりである「程順則(ていじゅんそく)」についてご紹介します。

程順則は、近世の沖縄を代表する人格教育者であり、文学者、政治家でした。

彼の人となり、その教えには、人を引きつけ感化する珠玉の輝きがあります。


程順則は、1663年那覇の久米村に生まれました。

順則というのは中国名で、沖縄の名前では「寵文(ちょうぶん)」といいます。

20代の頃から5回にわたって中国に渡り、学問を深めました。

彼が中国福州から琉球に持ち帰った教訓書「六諭衍義(りくゆえんぎ)」には、人が人として守らなければならない6つの教え(六諭)が分りやすくまとめられています。

彼は、それを琉球に広め、さらに薩摩を経由して徳川幕府に献上しました。

時の将軍吉宗は、幕藩体制を支える道徳律としてこの「六諭衍義(りくゆえんぎ)」を和訳させ、いわゆる寺子屋の教科書として全国に広く普及させたのです。

これにより、程順則の名は国中に知られることになりました。

彼は、文学者、教育者としても名高く、漢詩集を出したり、1718年に琉球最初の公立学校、明倫堂を設立するなどして、熱心に師弟を教育し、師を敬い、国を思う儒学の教えを実践しました。

66歳のとき、名護間切の総地頭(今の市長)となり、名護親方(ナグウェーカタ)と称しますが、その功績や人徳から尊敬を集め、名護聖人とも呼ばれました。

彼亡きあと、名護間切番所(今でいう市役所)では、毎年旧暦の元旦に「御字拝み(ミジウガン)」といって『六諭』の書を掲げ、彼の遺徳を偲んでいます。

この儀式は現代にも引き継がれているそうです。


さて、この「六諭」および程順則の教えについて、今後シリーズでお届けしますが、まずは「六諭」を以下に簡単に紹介します。

その後の、詳しい記事をお楽しみに!!

「六諭」(聖諭)
 「孝順父母」−父母に孝順なれ:(父母に孝行しなさい。)
 「尊敬長上」−長上を尊敬せよ:(目上の人を尊敬しなさい。)
 「和睦郷里」−郷里を和睦せよ:(村里に打ち解けなさい。)
 「教訓子孫」−子孫を教訓せよ:(子孫を教え導きなさい。)
 「各安生理」−各生理に安んぜよ:(各々の生業に甘んじなさい。)
 「母作非為」−非為を作すなかれ:(悪いことをしてはならない。)

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2007年11月04日

心からの信頼と相互扶助に根ざした「ゆいまーる」


akabana02.jpg中世に建てられたゴシック様式の教会は、以下のように非常に興味深い方法で建てられたようです。

まず、始めに石切り場が選ばれます。

普通、教会建設予定地から80キロメートル前後離れた場所が多かったようです。

それには、特別な理由があります。

まず工事が始まると、付近の住民たちが一列に並び、石切り場から建設現場まで数十キロメートルにおよぶ人の鎖を作ります。

切り出された石は、人の手から人の手へと手渡され、建設現場まで運ばれるというのです。

多くの人の参加と協力の大切さを学ぶ、本当にすばらしい話です。


沖縄にも協力関係の大切さを謳う「ゆいまーる」という言葉があります。

「ゆいまーる」は「結(ゆ)い」を意味する沖縄の方言です。

「ゆい」は、結い=結合=共同=協働、「まーる」は順番のことだそうです。

すなわち「ゆいまーる」は労働交換を意味します。

サトウキビなどの収穫は、一戸の家ではかなり厳しい重労働です。

それを隣近所が順番を組んで、互に助け合って収穫するという相互扶助のシステムが、「ゆいまーる」です。

日本本土はもとより中国、韓国などでも労働交換が発達しているようですが、特に沖縄の「ゆいまーる」は、農作業だけに限定されていないところが大きな特徴と言われています。

「ゆいま〜る」の根底には、「相互扶助」と「平等の原則」の精神が流れており、みんなが互いに信頼し合い、心から支えあえる地域社会の実現に向けて、ひとりひとりがちいさな力を出し合い、連携しあおうという精神に支えられているのです。

前述の教会建設における共同作業も、まさにこの「ゆいまーる」の「こころ」に通じるものであり、物心両面にわたって大きな成果をもたらすすばらしいものだと思います。


「ゆいまーる」ってなかなかいいですよね。

posted by HappyLifeRealize at 19:28| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 奉仕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月03日

明日を信じて、あきらめずに前進!


soratokumo02.jpg私は仕事柄多くの社長さんにお会いします。

一国一城の主として、様々な荒波を乗り越え事業を続けていらっしゃる彼らから本当に多くのことを学びます。

ある雑貨卸業を営む社長さんもそのお一人です。

一代で築き上げた彼の小さな会社は順調に業績を伸ばし、忙しいながらも安定した経営を維持するまでに成長しました。

お話しでは、近々新しい土地を購入し、大きな倉庫の建設に着手するとのことでした。

会社の倉庫は小さな川のすぐ側に建てられており、数人の従業員が忙しそうに立ち働いている様子は、不況下でさえ経営が堅調であることを如実に物語っていました。

ところが、穏やかな笑みを浮かべて語る温厚なその社長さん、数年前まさかのどん底を経験していたというのです。

例年にない大豪雨をもたらした大型台風襲来の際に、倉庫そばの小さな川の下流で、流木や漂流物が水の流れをせき止め、地域一帯に大洪水をもたらしたのです。

今までに経験したことのない大水害でした。

道路から1メートル以上も冠水し、倉庫の商品はほとんどだめになってしまいました。

被害総額は、なんと3億円です!

経営は順調とはいえ、資金的な体力のない中小企業にとっては致命的な大打撃でした。

しかしながら、社長さんは決して決してあきらめませんでした。

家族や従業員のため事業再開へ向けて毎日駆けずり回り、地獄のどん底から血のにじむような努力を重ねて這い上がってきました。

「本当に大変でした。自殺も考えました。でも、家族や従業員のことを思うとなんとか踏みとどまれました。そして死に物狂いで働きました。あきらめずに頑張ってきて本当に良かったですね。」

そう語る社長さんの目は潤んでいました。


過去の偉人たちは、成功の秘訣を次のように語っています。

「私の最大の光栄は一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きあがることである。」(イギリスの作家ゴールドスミス)

「成功の秘訣を問うな。なすことは一つ、全力を尽くすことである。」(アメリカの実業家ワナメーカー)

「成功に秘訣というものがあれば、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。」(アメリカの自動車王ヘンリー・フォード)

これらの名言は、まさにその社長さんへの賛辞です。

明日を信じて、決してあきらめずに前進しましょう!

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