2014年07月08日

「世界大恐慌時に差し伸べられた温かい愛の手」

イエス・キリスト03.jpg 1933年、世界大恐慌のために就職先を見つけるのが困難だった時期のことで、合衆国東部での話です。アーリーン・ビーセカーは、高校を卒業したばかりでした。長く続いた職探しの後、ついに縫製工場で衣服を縫う仕事を得ました。工場で働く人たちは、毎日自分が縫ってきちんと仕上げた数だけ支払いを受けました。たくさん仕上げればそれだけ賃金が増えるのです。

 工場で働き始めて間もないある日、アーリーンはある手順のところで行き詰まり、困惑といらだちを覚えました。ミシンの前に座り、縫い物を完成させるために、失敗した箇所をほどこうと試みました。助けてくれる人は誰もいないように思われました。他の縫製員は皆、できる限り多くの衣服を仕上げようと急いでいたからです。アーリーンは自分の無力さを感じ、絶望的になりました。そして静かに泣きだしました。

 アーリーンの真向かいに座っていたのがバーニス・ロックでした。バーニスは年上で、縫製員としても先輩でした。アーリーンが困り果てているのに気づき、バーニスは自分の作業をやめてアーリーンの傍らに行き、優しく方法を教え、手伝ってあげました。そしてアーリーンが自信を得て、無事に仕上げられるまでついていてあげたのです。その後、バーニスは自分のミシンに戻りました。ただ、手伝っていなければ仕上げることができていたであろう、たくさんの衣服を仕上げる機会を逃してしまいました。

 この一つの愛にあふれた優しさの行いによって、バーニスとアーリーンは生涯の友となりました。やがてそれぞれ結婚し、子供ができました。1950年代のあるとき、教会員だったバーニスはアーリーンとその家族にモルモン書を1冊贈りました。そして1960年、アーリーンと彼女の夫と子供たちはバプテスマを受けて教会員になりました。後に、神の聖なる神殿で結び固められました。

 きっかけはバーニスの思いやりでした。相手のことはよく知りませんでしたが、困り果てて助けを必要としていた人を、自分のことは後回しにして助けに行きました。こうして思いやりを示した結果として、今では生者も死者も含めて無数の人たちが福音の救いの儀式を享受しているのです。」■(トーマス・S・モンソン大管長『リアホナ』「愛−福音の神髄」p.91-92)

 モンソン大管長は、その説教の中で次のように語っています。

「この現世の旅を共にしている同胞を愛さないならば、本当に神を愛することはできません。同様に、わたしたち全員の御父であられる神を愛さないならば、完全に同胞を愛することはできません。」

 私たちも、モンソン大管長の勧告を心に刻み、次の短い詩の中で表現されている気持ちを、いつも大切にしたいものです。

「人の必要に気づかずに、
 枕を涙でぬらした夜は
 数知れない。
 だが、ほんの少し
 人に尽くしすぎたからといって
 悔やんだことは
 一度もない。」

(作者不詳,リチャード・L・エバンズ長老が“The Quality of Kindness,”Improvement Era, 1960年5月号,340で引用)


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2014年07月05日

「飛躍の鍵−過去の失敗を顧みずに未来を見つめる」

孔子01.jpg「温故知新」とは、みんなも承知のように「論語」(為政編)の中で孔子が師となる条件として、先人の思想や学問・古典を研究するように述べたものです。

 私の大好きな言葉のひとつです。

 すなわち歴史や思想、古典など昔の事柄を調べて研究し、そこから新しい知識や見解、そして知恵を得なさいという意味でしょう。

 過去を学ぶことによって現在をよりよく生きることができるわけです。そういう意味で過去を顧みることはとても大切だと思います。

 ただ、自らの過去のつまずきや失敗にとらわれて、本来の自分らしさを出せず、その内なる可能性をも活かせず、希望を持って前へ進めないとするなら、過去を顧みることはむしろよいこととは言えません。

ジョージ・ワシントン01.jpg アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは次のように述べています。

「過去の過ちから役に立つ教訓を引き出すためと、高価な代償を払って得た利益を得るためでない限り、決して過去を顧みるな。」

 失敗しない人などこの世に一人もいません。つまずきのない人生なんてこの世にひとつもないのです。大切なのは、どのような心構えを持ち、それにどう対処していくかだと思います。

HondaSouichiro1.jpg「世界のホンダ」を築いた本田宗一郎氏(本田技研工業創業者)は次のように述べています。

「私の現在が成功というのなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることになる。私の仕事は失敗の連続であった。」

トーマス・エジソン01.jpg あの発明王のトーマス・エジソンも、

「私は失望などしない。なぜなら、どんな失敗でも次への前進の新たな一歩となるからだ。」

と語っています。

 過去がどうであれ、今日という日は何の染みもない真白な新たな1ページ。私たちの望みと思い次第でどのような色にも染めることができます。

 道は必ず開けるのです。

ロング・フェロー01.jpg ロングフェローの次の短い詩をかみしめながら、マイペースで着実に一歩ずつ「前」へ進んでいきましょう。(おやじより)

  過去を顧みるなかれ
  現在を頼め
  さらに雄々しく未来を迎えよ

    ロングフェロー


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2014年06月30日

「自分自身と明日を信じて、あきらめずに前進する」

 転勤で福岡に来る以前、故郷沖縄にいた頃の私は、仕事柄毎日のように多くの社長さんにお会いしました。

 一国一城の主として、様々な荒波を乗り越えて事業を続けていらっしゃる彼らから本当に多くのことを学びました。

 ある雑貨卸業を営む社長さんもそのお一人です。

 一代で築き上げた彼の小さな会社は順調に業績を伸ばし、忙しいながらも安定した経営を維持するまでに成長しました。

 お話しでは、近々新しい土地を購入し、大きな倉庫の建設に着手するとのことでした。

 会社の倉庫は小さな川のすぐ側に建てられており、数人の従業員が忙しそうに立ち働いている様子は、不況下でさえ経営が堅調であることを如実に物語っていました。

 ところが、穏やかな笑みを浮かべて語る温厚なその社長さん、数年前まさかのどん底を経験していたというのです。

 例年にない大豪雨をもたらした大型台風襲来の際に、倉庫そばの小さな川の下流で、流木や漂流物が水の流れをせき止め、地域一帯に大洪水をもたらしたのです。

 今までに経験したことのない大水害でした。

 道路から1メートル以上も冠水し、倉庫の商品はほとんどだめになってしまいました。

 被害総額は、なんと3億円です!

 経営は順調とはいえ、資金的な体力のない中小企業にとっては致命的な大打撃でした。

 しかしながら、社長さんは決して決してあきらめませんでした。

 家族や従業員のため事業再開へ向けて毎日駆けずり回り、地獄のどん底から血のにじむような努力を重ねて這い上がってきました。

「本当に大変でした。自殺も考えました。でも、家族や従業員のことを思うとなんとか踏みとどまれました。そして死に物狂いで働きました。あきらめずに頑張ってきて本当に良かったと思っています。」

 そう語る社長さんの目は涙で潤んでいました。

 過去の偉人たちは、成功の秘訣を次のように語っています。

「私の最大の光栄は一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きあがることである。」(イギリスの作家ゴールドスミス)

「成功の秘訣を問うな。なすことは一つ、全力を尽くすことである。」(アメリカの実業家ワナメーカー)

「成功に秘訣というものがあれば、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。」(アメリカの自動車王ヘンリー・フォード)

 これらの名言は、まさにその社長さんへの賛辞です。さらに、次の格言に象徴されるその社長さんの生き様は、私たちへの大きな励ましと希望でもあります。

「天は自ら助くる者を助く。」(イギリスの諺)

「神に祈れ、だが岸に向かって漕ぐ手を休めるな。」(ロシアの格言)

 天の助けを心から信じ、心から頼り、そして自らの最善を尽くす者に、天は必ずや助けの手を差し伸べ、道を開いて下さると確信しています。この社長さんの生き様は、その確かな証そのものです。

 自分自身と明日を信じて、決してあきらめずに前進しましょう!

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2014年06月07日

「神はあなたの苦難を聖別してあなたの益としてくださる!」

シクラメン01.jpg 私の中学の頃の先輩に心から尊敬するすてきな女性がおります。

 どのようなときでも笑顔を絶やさず、周りの方々への細やかな心遣いを自然な形で行いに示し続けるとても優しい方です。周りの方々の幸福そうな笑顔が、そしてそれをもたらすべく小さな親切の手を伸べることが、自身の一番の喜びと感じているようです。

 以下の助言を文字通り地で実践している二児のお母さんです。
すみれの花01.jpg「喜びを得るための鍵は、人のために奉仕することです。……自由意志とは、わたしたちが熱心に努め、自らの意志で意義ある奉仕の業を行なうための力です。」(ゴードン・B・ヒンクレー大管長)

 いつも明るい笑顔を振りまく彼女ですが、様々な人生の厳しい憂き目を何度となく味わってきました。口に尽くせない辛い挫折を幾度となく経験してきたのです。でも持ち前の明るさと笑顔を決して失うことなく、その度に失意のどん底から這い上がってきました。

白百合01.jpg それらすべてに追い打ちをかけるように2番目の息子がダウン症で生まれたときにもそうでした。

 一時期は、障害を持つ夫と共にお互いに自分自身を責め、すっかり打ちのめされてしまいました。それでも主への祈りの中で顔を上げ、涙を拭いて、笑顔を取り戻し、黙々と奉仕活動に携わっています。2人の息子たちになお一層の愛情を注ぎつつ……。

 十二使徒のデビッド・A・ベドナー長老は次のように語っています。

金木犀01.jpg「主の憐れみはきわめて個人的です。それは主イエス・キリストから、主を通じて、一人一人の必要に応じた祝福、強さ、守り、確信、導き、愛と思いやり、慰め、支え、そして霊的な賜物として注がれます。主だからこそお与えになることができるのです。主はまさに『人の子らの状態に応じて憐れみを施』されます(教義と聖約46:15)。」

「救い主が一人一人のもとに来られる方法の一つは、主の豊かで深い憐れみによります。例えば、皆さんやわたしが人生で問題や試練に直面するときに与えられる信仰という賜物と、そのときに必要な自分の能力を超える自信は、主の深い憐れみを表しています。悔い改めや罪の赦し、良心の平安も、主の深い憐れみの一例です。また、物理的な限界や霊的な困難に直面するときに、忍耐と不屈の精神をもって元気に前進できるのも、主の深い憐れみによるものです。」

 彼女はまさにイエス・キリストの贖いを通じてもたらされる主の恵みに心癒され、主の深い憐れみにより力を得ていらっしゃいます。

 祈ること以外に何ら助けの手を伸べることの出来なかった私の思いは、C・S・ルイスのまさに次の言葉そのものでした。

鈴蘭01.jpg「私は非常な苦しみを受けている人々の中に、魂の大いなる美しさを見た。ほとんどの人々が、日を経るにつれて大きく成長していく。落ちていくのではない。そして遂にその苦しみが最悪の条件の中から不屈の精神、愛と素直な心という宝を生み出すのを見た。」

 彼女の人生は、次の聖句に象徴されます。

「さて、ヤコブよ、わたしはあなたに告げる。あなたは、わたしが荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子である。見よ、あなたは、……ひどい苦難を味わい、つらい思いをした。しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」(モルモン書2ニーファイ2章1〜2節)


 彼女は賢人たちの以下の言葉を骨の髄まで深く理解し、今日も同じように寒さに震える方々へ温かい励ましの手を差し伸べています。寡黙に異物の痛みに長く耐えつつそれを嘆くことなく美しい宝に変えるあの真珠貝のように……。
「真珠貝−異物を美しく貴い宝へ」

「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。」(ホイットマン)
カキツバタ01「今日私が目にする最大の奇跡は、病める者の癒しではない。そうではなく、心に悩みを持ち、落胆し、取り乱し、挫折し、そしてその挫折する一歩手前にある人々への助けである。」(ハロルド・B・リー大管長)

 頭で理解していても、同じように行動するのは私たち凡人には簡単なことではありません。自分の至らなさや不甲斐なさに心沈むことしばしばです。

 でも差し伸べる温かい手をもっている人がこの世の中にいると知ることは、本当に大きな慰めとなり励みになります。

「神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」
(モルモン書2ニーファイ2章1〜2節)

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2014年06月04日

「大親友の訪問−心の清い人は神を見るであろう!」

愛する子供たちへ

 今日は、沖縄の友人が分かち合って下さった「大親友の訪問」というすてきな心温まる物語を紹介します。皆さんも、きっとそのような大親友の訪問を是非受けたいと思うことでしょう。
教会堂01.jpg
 「大親友の訪問」

 ある日の昼頃、牧師は礼拝堂に誰か祈りに来ているかどうか、ちょっと覗いてみようと思い、礼拝堂の中に入っていきました。ちょうどそのとき、扉が開き、ひとりの男がやってきました。その男の顔に無精髭が伸びているのをみると、その牧師は眉をひそめました。

 彼のシャツは薄汚れており、上着はヨレヨレで擦り切れていました。男はひざまづき、しばらくの間、頭を垂れ、そしてすぐに立ち上がって出ていきました。

老人の祈り01.jpg その日以来、その男は毎日正午になると決まって礼拝堂に現われました。そして30秒ほどひざまづくのです。手には弁当箱とおぼしき袋を持って……。

「強盗にでも入る隙を狙っているのだろうか?」いぶかしく思った牧師はある時ついに男を呼びとめて尋ねました。

「君、ここで一体何をしているのかい?」

 彼は教会からやや離れた工場で働いていました。30分だけの昼休みを利用して、力と元気を得るために、毎日ここに祈りに来ていたのです。

祈りの手01.jpg「ほんのちょっとしかいられないんですがね、なにしろおいらが働いている工場はこの教会からはちょっと離れているもんで。ここにこうしてひざまづいてね、神さまにこんな具合に祈るんでさぁ。『神さま、これが言いたくてまた来ました。あなたさまがおいらの罪を取り除いてくださって以来、おいらはずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。あなたさまがおいらの大親友になってくださって、すごく嬉しいんです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないんですが、とにかく神さまのこと、毎日思っていますよ。だから、イエスさま、ジムです、顔出しに来ました。』」

 いらぬ疑いを持ったことを恥ずかしく思いつつ、牧師はジムにいいました。「そうですか。それは大変素晴しいことですね。これからもいつでも祈りに来て下さい。」

「さぁ、もういかなくちゃ。仕事に遅れちまったら大変だ。」

 ジムはにっこり笑うと大急ぎでその場を立ち去って行きました。牧師はジムがいつもするように、祭壇の前にそっとひざまづきました。こんなことをするのは初めてでした。彼の冷えていた心はときほぐされ、主の愛で満たされていくのがわかりました。頬を涙が伝うのもかまわず、彼は小さな声でジムの祈りを繰り返してみました。

「神さま、これが言いたくてまた来ました。あなたさまが私の罪を取り除いてくださって以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないのですよ。あなたさまが私の大親友になってくださって、すごく嬉しいのです。どうやって祈ったらいいのかあんまりよくわからないのですが、とにかく神さまのこと、毎日思っています。だから、イエスさま、私です、顔を出しに来ました。」

1匹の羊01.jpg ある日の午後、牧師はまだジムがその日は来ていないことに気付きました。そしてジムが現われない日は何日も続きました。心配した牧師がついに工場へ行きジムのことを尋ねると、ジムは病気で入院していたのです。

 病院では医者や看護婦たちがジムのことを噂していました。彼には花はおろか、電話一本、カードの一通も送られてこない、見舞客も一人も来ない、それなのに、ジムはいつも笑顔で喜び一杯なのです。しかも彼の喜びは回りにいる人達にも伝染して、ジムが入院して以来、その病棟の雰囲気が一変してしまったのです。病院にかけつけた牧師は、ベッドに横たわっているジムのかたわらに立ち、言いました。

「看護婦さんたちはみんな不思議がっていますよ。付き添いも見舞いも全然ないのにあなたがいつも嬉しそうにニコニコしているから……。」

「看護婦さんたちは間違えているんでさぁ!まぁわからないのも無理はないですがね。毎日、昼になるとね、あの方が来て下さるんですよ。おいらの大親友のあの方が。牧師さんならわかるでしょう?あの方がね、ほらここ、ここんとこに座って、おいらの手を握ってね、こういうふうに言ってくれるんですよ。
イエス・キリスト03.jpg『ジム、これが言いたくてまた来ましたよ。私があなたの罪を取り除いて以来、私はずーっと嬉しくて仕方がないんですよ。私はあなたの大親友になってすごく嬉しいんです。私はあなたが祈るのを聞くのが大好きです。とにかくあなたのこと、毎日思っていますよ。だから、ジム、イエスです、顔を出しに来ました。』」■

 日々の生活の中で、主の訪れを霊の眼で見極め、主の声を霊の耳で聞き分けられたらどんなにすばらしいことでしょう。そして、ジムのように幼子のような清い心を心から得たいと望んでいます。(おやじより)

「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。」(マタイ5章8節)

最初の示現01.jpg「また、あなたがたがわたしの栄光にひたすら目を向けるならば、あなたがたの全身は光に満たされ、あなたがたの中に暗さがないであろう。そして、光に満たされるその体はすべてのことを悟る。それゆえ、あなたがたの思いがひたすら神に向いたものとなるように、自らを聖めなさい。そうすれば、あなたがたが神を見る日が来る。神はあなたがたにその顔を現すからである。それは神自身の時に、神自身の方法で、神自身の思いに従って起こる。」(教義と聖約88章67〜68節)



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2014年05月31日

「天に真っ直ぐに伸びる竹から学ぶ−魂の節」

 私は竹が大好きです。

 竹は天に向かって真っ直ぐに伸びます。どんなに強い風にあっても、風に身を任せ、大きくしなりながらもなかなか折れず倒れません。

 木の仲間であるにもかかわらず中身は空っぽ。でも、一見弱々しそうですが、釣り竿として使われていることからも分かるように強さは半端ではありません。 

 同じ太さであれば、その強さは普通の木の枝の比ではありません。

 いわゆる柔らかな強さです。柔和・謙遜な人の強さに似ています。

 いったい、その強さの秘訣はどこにあるのでしょうか。

 色々あると思いますが、私はその強さの鍵のひとつが「竹の節」にあると考えています。

 伸びる度に増えていく竹の節。その節こそがどんなに風に吹かれ曲げられても簡単には折れることのない強さの要であり基となっているのです。

 まさに、人生の苦難を乗り越えるたびに人の魂に深く刻まれ築かれる「不屈の精神」や「自信」、「あきらめず・投げ出さずにやり抜く力」のようなものです。

 私はそれを「魂の節」と呼んでいます。

 世知辛く厳しい今の世の中、でも厳しい毎日の生活の中で、御父の恵みを受けつつその「魂の節」を自らの内に増やせるならば、私たちは竹のように簡単に折れず倒れません。そして、真っ直ぐに力強く天に向かって伸びることができます。

 モルモン書の中で預言者エテルは次のように語っています。

「もし人がわたしのもとに来るならば、わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために、人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」(エテル12章27節)

 新約聖書の中でもパウロは次のように語っています。

「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(1コリント10章13節)

 この世で私たちが直面するあらゆる困難や試練、そして自らの内なる弱さは、私たちを決してつまずかせるものではなく、それらに耐える力と逃れる道を備えなおかつ強さを与えて下さる御父の御旨に柔和・謙遜に従う中で、自らの内に「魂の節」を作る助けとなり、実際に乗り越える能力を増し加える助けとなるものです。そして私たちを御父に近づかせてくれます。

 さらに、モルモン書の中でリーハイが息子ヤコブに語ったように、御父の豊かな恵みに与れるように助けてくれるのです。

「さて、ヤコブよ、わたしはあなたに告げる。あなたは、わたしが荒れ野で艱難に遭っていたときに最初に生まれた子である。見よ、あなたは、幼いとき、あなたの兄たちが乱暴なためにひどい苦難を味わい、つらい思いをした。しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる。」(2ニーファイ2章2〜3節)

 私は、難しい問題や壁にぶつかるとき次のように考えることにしています。

「『竹の節』のように、『魂の節』を作るチャンスがやって来た……!」




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2014年05月27日

「陶器師(匠)の心と技の結晶−有田焼」

 先週の月曜日から火曜日にかけて、会社の出張で佐賀県の有田町へ出かけました。今年の夏に予定されているアメリカや韓国、グァムの職員を招待して開催される職員会議の準備のための視察と調整が目的です。1週間続く会議の中で、外国から来られる職員の皆さんに1日だけ有田焼の陶磁器作りに挑戦して頂く予定です。その中で、日本の伝統文化に親しみ、相互理解と友好を深めてもらおうと計画を進めています。

 重要無形文化財十四代目酒井田柿右衛門さんの窯、展示場・参考館および倉島泰山窯等を訪問し、匠の技を堪能しました。その道を極めた匠の手になる作品に感動、感動、感動の連続でした。

 倉島泰山窯では、窯主の前田忍さんが親切にも作業場内を案内して下さり、作品の作成工程を詳しく丁寧に説明して下さいました。                      
        倉島泰山窯の前田忍さん

 単なる土が、匠の手により均整の取れた美しい形に整えられ、心を魅了する色鮮やかな絵柄が描かれる中、新たな命を吹き込まれたすばらしい芸術作品へと生まれ変わっていきます。作品が窯から出される時は、まさに感動の瞬間です。しかし、それ以上に、前田さんの私たちをもてなす温かな心遣いと真心込めて質問に答える誠実さや優しさに感動を覚えました。そのような美しい心や人柄が、ひとつひとつの作品ににじみ出て、見る者の心を動かすのだと感じました。 

 それぞれの作品には、人の心を掴み、感動させるすばらしい魅力が秘められています。それは作品を作る匠の人間そのものの魅力でもあり、努力の顕現でもあります。そういう意味で、すばらしい作品のひとつひとつは、陶器師(匠)のまさに「心と技の結晶」です。

 聖書のイザヤ書には次のように記されています。

「主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。」(イザヤ18章6節)

「主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」(イザヤ64章8節)

 私たちは皆、私たちを無限の愛で見守り、養い育んで下さる「永遠の陶器師」−御父の御手になるわざです。私たちの魂を練り上げ、高みへと押し上げて下さる御父の教えを熱心に学び、その真理に基づいた教えを心から愛して御旨を実践する時、その御手に使われる器、すなわち人々をキリストのみもとへ導く器となることができると確信しています。そうあれるよう心から努めたいものです。

<有田焼>     〒844-0017
「倉島 泰山窯」   佐賀県西松浦郡有田町戸杓丙736
窯主:前田忍さん  TEL:0955-42-3556(代表)
             FAX:0955-42-5176



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