2012年02月25日

「右の頬 打たれば左 頬を出し 耐えて赦せよ オジーの教え」

私の母方の祖父は新垣徳唐といい、沖縄県の中部中城村で父新垣徳眞と母カマの長男として生まれました。明治十二年二月のことです。

とても聡明で、心優しい穏やかな性格の上、手先が非常に器用で、あらゆる生活の道具を独自に考案し作り上げるという独創的なおじいちゃんでした。

二十四歳の時、呉屋カミと結婚し、その後四男一女に恵まれますが、悲しいことに三男を四カ月の頃に病気でなくし、続いて次男を二歳六カ月の時、長男を十五歳、四男を三十三歳の時に病気で亡くします。なんと結婚後南米へ移民した一人娘の長女をも病気で失ってしまいます。

そして、さらには最愛の妻カミおばあちゃんも、四男の出産が原因で病気になり、徳唐おじいちゃんが二十八歳の時亡くなってしまいます。

まさに地獄の苦しみです。

でも徳唐おじいちゃんは、決して自暴自棄になることなく、誠実に働き子供たちを必死に養いました。

徳唐おじいちゃんが三十九歳の時、宮里ウサおばあちゃんと再婚します。私の母の母、すなわち私の実祖母です。その後四男二女に恵まれました。その最初の女の子が私の母です。

過去の苦しみを忘れ、幸せをかみしめるひと時が訪れました。徳唐おじいちゃんは、八男三女、十一人の子供に恵まれたことになります。

しかしながらその幸福な時もつかの間、やがてその幸せに満ちた笑い声も軍歌・軍靴の音にかき消されてしまいます。沖縄を吹き荒れた戦争の惨禍、鉄の暴風により、さらに四人の子供たちと共に自らの命も失ってしまいました。十一人の子供たちの中、実に六人の子供の死を看取らなければならない、本当に狂おしいまでに悲しくつらい人生です。

でも、そのような耐え難い悲しみに打ちのめされながらも、徳唐おじいちゃんが、常に私の母に諭し教えていた事柄の中に、次のような教えがあります。

「人は、右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出すようでなければなりませんよ。」

「これからの時代は、三本の指で生活ができるような時代になります。どのような状況でも、熱心に勉強しなさい。」

徳唐おじいちゃんは、クリスチャンではありませんでしたし、聖書を持っていたわけでもありません。ただ、聖書の中で教えられているひとつの教えを自らの信念として、生活の中で実践していました。

六人の子供を失うという耐え難い試練に会いながらも、天を恨むでもなく、悲しみや苦しみに耐えつつ、自らの心を磨き、人を赦し愛することと熱心に学問に励むことの大切さを子供たちに教え諭しました。

徳唐おじいちゃんは、試練や苦難・悲しみが、決して人をつまずかせるものではなく、それを受け入れ、耐え、乗り越えるべく最善の努力をする人を精錬するものであることを自らの生きざまを通して教えてくれました。

そんな徳唐おじいちゃんを、私は心から尊敬し、誇りに思っています。

真理を真心込めて実践する人は、どのような宗教どのような宗派にいても、神がその恵みの御手を控えることはないと確信しています。もちろん、完全な救いを得るには、完全な福音の真理に従う必要があります。幸いなことに、福音を聞く機会なくしてこの世を去った方々には必ずそのような機会が与えられるのです。完全に公平な神さまは、深い慈愛を持って道を備えて下さっておられます。

「右の頬 打たれば左 頬を出し 耐えて赦せよ オジーの教え」

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2012年02月15日

「老夫婦のほほえましい絆−主なる私はあなたの右手をとって助ける」

愛する子供たちへ

私が幼い頃の実家の前には、美しい一本松のある泉の方向に向かって緩やかな長い坂がありました。

カトリック系教会のハイビスカスでできた垣根のそばを南に伸びる、緑に囲まれたとても風情のある坂でした。私たちにとって幼い頃のたくさんの思い出が詰まった本当に懐かしい、郷愁を感じさせる特別な坂道です。

ある暑い夏の日の午後の光景が目に浮かびます。

当時では珍しい白い半袖のワイシャツに棒ネクタイ、薄いグレーのズボンにシルクハットのような帽子をかぶったおじいちゃんとハワイのムームーにも似た沖縄独特の生地柄でできたワンピースの服に身を包み、沖縄ではカンプーと呼んでいますが、白髪を丸く結い上げたかわいいおばあちゃんが、二人とも杖をつきながら坂道をゆっくりと登っていきます。

アスファルトのまだ敷かれていないでこぼこ道は、夏の午後の日差しに真っ白に輝き、目も開けられないほどの照り返しです。

所々木々や特に枝を張ったリュウキュウマツの枝で涼しげな木陰も点在するその坂は、頂上手前で急に険しくなります。

そこにさしかかる頃、おじいちゃんはおもむろに右手の杖を左手に持ち替え、右手でおばあちゃんの左手を取り優しく引き始めました。

互いに手を取り、互いを気遣い合いながらゆっくり登っていく様子は本当にほほえましく、幼い私たちの心にとてもさわやかな印象を残しました。

大きくなって結婚して、どんなに年を取ってもあのおじいちゃんおばあちゃんのように仲のよい夫婦になれたらいいな、と思いました。

主はイザヤ書で次のように語っています。

「あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとって あなたに言う、『恐れてはならない、わたしはあなたを助ける。』」(イザヤ書41章13節)

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」(イザヤ書41章10節)

あの優しいおじいちゃんのように、主はどのようなときでも私たちの右手を取り、支え助けて下さいます。私たちが主と交わした聖約に忠実である限り、人生のどのような険しい坂道にあっても、優しく右手を取り、勝利を得させて下さいます。そのことは真実です。(おやじより)

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2012年02月13日

「神から賜った嗣業−子供は育つ環境から学ぶ」

我が家には恵まれて6人の子供たちがいます。子だくさんで知られる沖縄でも、8人家族は最近ではちょっと珍しい家族です。今年理学療法士として病院勤務が始まった長男を筆頭に、下は中2の娘を含めて、4男2女です。

長男は勤務する病院の近くにアパートを借りて自活し、長女は現在東北で伝道活動に勤しんでいるため、現在は6人ですが、それまでは毎日が本当に騒がしいすったもんだの日々でした。

子供たちがまだまだ幼くて手がかかった頃、すなわち私たち夫婦が「よちよち歩きの親」を始め、子育てに悪戦苦闘していた頃、熟年を迎えたある尊敬する先輩夫婦から一編の詩をプレゼントしていただきました。

とても含蓄の深い詩で、新米夫婦の私たちにとって本当に参考になりました。ドロシー・ロー・ノウルティーの「子供は育つ環境から学ぶ」です。紹介します。

  中傷の中で育つ子供は、非難することを学ぶ。
  敵意の中で育つ子供は、争うことを学ぶ。
  あざけりの中で育つ子供は、恥じることを学ぶ。
  恥辱の中で育つ子供は、罪悪感を持つことを学ぶ。

  寛容の中で育つ子供は、忍耐することを学ぶ。
  励ましの中で育つ子供は、自信を持つことを学ぶ。
  賞賛の中で育つ子供は、感謝することを学ぶ。
  公正の中で育つ子供は、正義を行うことを学ぶ。
  安らぎの中で育つ子供は、信仰を持つことを学ぶ。
  賛同の中で育つ子供は、自分を愛することを学ぶ。
  容認と友情の中で育つ子供は、世の中に愛を見いだすことを学ぶ。


この詩は、それ以来私たち夫婦の子育ての指針になりました。
あれからやがて20年になりなんとする今でさえ、まだまだうまくできてはいませんが……。^^;

子育ては悩みの尽きない一大事業です。しかし、同時に世の中で最もやりがいのある仕事かもしれません。そしてそれは神様から与えられた神聖な務めでもあります。聖書にも「子供たちは神から賜わった嗣業であり」(詩篇127:3)とあります。子供たちは自らの所有物ではなく、愛と模範と真理によって養い育み、神の御許へ帰る備えができるよう助けを与えるために神様から託された神の息子娘です。それゆえ、父親と母親の責任は重大です。

現代の預言者たちは、特に父親へ向けて次のように語っています。

「さて父親の皆さん、皆さんに覚えていただきたい。主の仕事の中で最も大切なのは、あなたの家の囲いの中で行う仕事である。ホームティーチング、監督の仕事、その他の教会にかかわるすべての仕事はもちろん大切である。しかし、最も重要な仕事はあなたの家庭の囲いの中にあるのである。」(ハロルド・B・リー大管長「堅固な家庭」1973年 パンフレット P.7)

「兄弟、あなたのなす最も大切な主の仕事は、あなた自身の家庭の囲いの中にあることに気づきませんか。それこそ最も大切な主の仕事なのです。価値観をはき違えてはいけません。」(ハロルド・B・リー大管長「あなた方は世の光である」)

「神の計画では、すべての人に父親が与えられ、父親の責任は単に生活の必需品を与えるだけでなく、この世と永遠にわたって訓練を施すことである。サラは明らかにリーハイを助けていた。しかし、家族を集めて、正義の道を歩むように教えたのは父親であった。」(スペンサー・W・キンボール大管長「大会報告」1965年4月 P.61)

「これらを専門家に任せず、あなた自身の説伏と模範により、炉端で子供に教えなさい。あなたが真理の専門家になりなさい。集会、学校、組織を単なる指導教師ではなく、自分のものとし、それらを家庭における私たちの教えと訓練を補うものとしなさい。」(ジョセフ・F・スミス大管長「福音の教義」P.292)

神様から与えられた父親としての管理の職の重要性を今一度新たにするすばらしいメッセージです。父親と母親は、「神聖な行く末を内に秘めている神の息子娘を神様から預かり、今養い育んでいる」との認識をしっかりと持ちつつ日々子供たちに向かい合う必要があるのでしょう。ゲーテも次のように語っています。

「もし人があるがままに扱うなら、その人はそのとおりになるだろう。しかし、その人があるべき姿、なりうる姿を思い浮かべてそのように扱うなら、扱われたとおりの人物になるだろう。」(ゲーテ)

上記のすばらしい提言をしっかり心に留めて、これからも頑張りたいと思います。

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2012年02月12日

「人の心を慰め癒す一生懸命咲く花々」

愛する子供たちへ

私は花が大好きです。物覚えが悪いので名前はなかなか覚えられないのですが、すべての花が大好きです。

花屋さんで華やいでいるポピュラーな花ばかりではなく、野菜や果物、雑草なんかの花も最高です。(本当は雑草という草花はありませんね。正確には田畑や荒れ地に咲く草花…かな? いずれにしても雑草と呼んでごめんなさい。)

わが家の庭でも、季節ごとに咲くたくさんの花が見られます。

さつまいもの薄紫色の花、ニラの真っ白い可憐な花、かわいい黄色の菜の花、ジャガイモの真ん中黄色に薄紫花びら、しそのほんのり紫がかった白い花、大根の清楚な白い花、ゴーヤ・キュウリ、トマトの鮮やかな黄色い花……などなど数えたらきりがありません。

庭や道ばたの草花も、よくよく見ると本当にきれいな花を咲かせて私たちの心を和ませてくれます。

そんな花たちを見るとつい小さな声で、「みんな一生懸命咲いてるね〜。とてもきれいだなあ。風が強いけど頑張ってよ〜。」と話しかけてしまいます。

時々不覚にも、花に声掛けしているその現場を通りがかりのオジーやオバーに見つかって、とてもばつの悪い思いをします。顔から火が出そうなときもありました。(^^;) でも、そんな時のオジー・オバーの目は、

「ウンチュヤ ウヒグヮー フリトーッサー(この人は少し頭がおかしいさ〜。)」

という目…ではなく、しわくちゃの笑顔の奥にあるとても温かな優しい目です。これもまた花にも劣らず私の心を和ませ、安心させ、癒してくれます。だから私はオジーもオバーも大好きです。

仕事で疲れたとき、落ち込んでいるとき、気分が悪いとき、難しい問題で頭が疲れたとき、毎朝毎夕必ず庭へ向かいます。そして花たちと会話するのです。10分ほどで心も頭も身体まですっきりします。まるで、心ときめく恋人(結婚前の家内)に会ってきたような気持ちです。(笑)

「あなたは私の顔を見つめるのより、花を見つめる時間の方がはるかに長いわね。」最近はよく家内に皮肉られます。

そんなときは、その場の空気が和らぐよう「いや〜花たちを見てると結婚前のデートのときのあの心のときめきを思い出すからね〜。」とニコニコしながら、歯が浮くようなジョークを返すことにしています。だいたいま〜るく収まります。


花たちは本当に一生懸命咲いています。道ばたのどんな厳しい環境でもその花なりに、精一杯生きています。だからこそ美しいのでしょう。だからこそ心惹かれ、心が癒されるのでしょう。元気を一杯もらい、心が和み改まります。そして、また頑張れるのです。

花たちは、エドワード・エベレット・ヘール氏が語った次の言葉の意味するところを、本当によく知っているのかも知れません。

 「私にはひとり分の力しかありませんが、
  ひとり分の力にはなれます。

  私にはすべてのことはできませんが、
  何かをすることはできます。

  すべてのことができないからといって、
  何かをすることまでやめてはいけません。」

名もない道端の花のように、上記のような生き方ができれば本当に素晴らしいと思います。

明日もまた、通行人のオジーやオバーたちに悟られないように花たちと会話しよっと……。

皆さんも始めてみませんか。心癒され、幸せになること請け合いますよ。

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2012年02月11日

「コスタリカ物語-見出そう My Friend」

愛する子供たちへ

先日の早朝、仕事に出かける前に、私が若い青年たちと一緒に聖典を勉強していた時のことです。ひとりの若者がやってきて一緒に勉強したいと申し出てきました。

喜んで迎え入れ「どうして一緒に聖典を勉強したいの?」と尋ねると「今年、是非専任宣教師としての召しをいただき、多くの人々にこの回復された福音を伝えたいんです」との答えが返ってきました。

彼の澄んだきれいな瞳の奥を覗き込み、そこに純真で固い決意を見、また感じたとき、何とも言えない温かな思いで一杯になりました。彼の心を人々に福音を伝える決意に導いて下さった主に心から感謝しました。

仕事を終えて、夕方その青年のことを思い起こし感慨にふけっていた時、ひとつの物語を思い出しました。彼のように「人々の幸せのために、2年間の時間を主に捧げ、人々にこの回復された福音を伝えたい」と望むある青年に起こった出来事です。私は彼が召された伝道地にちなんでその物語を「コスタリカ物語」と呼んでいます。

「コスタリカ物語」

この物語はアメリカのユタ州で実際にあったお話しです。

専任宣教師として伝道に召された一人の若い青年が、日曜日の聖餐会で立って話をしました。

彼は次のように語りました。

「私は先日、ひとつの夢を見ました。今まで見たことがないような美しいところで、私はひとりの友と座って話をしていたのです。

私たちは二人でこれから行って生まれる地球について話をしていました。すると、ひとりの天使が私たちにのところにやって来て一通の手紙を渡しました。それは私が間もなく地球に生まれるという手紙でした。

私は友にそれを読んでくれるように頼みました。彼はその手紙を開けて読みました。

『あなたはアメリカのユタ州にあるソルトレークという町でこの教会の福音を知った家族の元に生まれるでしょう。あなたはイエス・キリストの真実の福音の中で育てられ、たくさんの家族の愛を受けて、幸せに過ごすことが出来ます。』

私たちは嬉しくなって抱き合いました。すると、また同じ天使が私たちのところにやって来て、今度は私の友に手紙を渡しました。

友も喜んで『じゃあ、今度は僕のを君が読んでくれよ』と言いい、私にその手紙を差し出しました。私はその手紙を開けて読み始めました。

『あなたは南アメリカのコスタリカという貧しい国の家庭に生まれでしょう。あなたの家庭はこの福音を聞いたことがなく、また、貧しい生活の中でたくさんの苦労をして生きていかなければならないでしょう。』

私たちは悲しくなって胸が張り裂けそうでした。友は涙でいっぱいになった私の目をみつめてこう言いました。

『友よ、どうぞ私を見つけに来てください。そして再びこの福音を私に教えて下さい。』

私はこのような夢を見てから、三日後に伝道の召しをいただきました。そして、私の伝道地は、なんと夢に出てきたあのコスタリカでした。私は主が示してくださったその友を必ず見つけます。」

それから一年たったある日曜日、ソルトレークのその同じワード(支部)ではいつものように聖餐会が行われていました。ビショップは立ってこのように話しました。

「みなさんは一年前、ここに立って証をしたひとりの若い宣教師の青年を覚えていますか? 私は、昨夜彼から一通の手紙をもらいました。そこにはたった一行だけこのように書かれていました。I found my friend.(私は友を見つけました)。」


この実話を元にひとりの教会員が、以下のようなすてきな歌を作ってくれました。今では多くの教会員に愛唱されています。今日は、その歌を皆さんにも紹介します。


「見出そう My friend」

1.覚えてる前世に 君と共に住んだ日
  天の父に従い この地に生まれた

  主の召し果たして 主の羊探し     
  教え導き また 天に帰ろう

  友よ私はそこに あなたを見つけに  
  もしめぐりあえば 主の道受け入れて  

  人の値は 天に大いなると知り
  すべてをささげ 見出そう My Friend

2.良きおとずれを世に 響き渡らせたまえ  
  主の僕となりて 今私は召さる

  清き心は待つ 主の声をまつ  
  イエスにより生まれ 天に帰ろう

  友よ私はそこに あなたをみつけに  
  もしめぐりあえば 主の道受け入れて

  人のあたいは 天に大いなると知り  
  すべてを捧げ 見出そう My Friend


「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。見よ、主なるあなたがたの贖い主は、肉体において死を受けた。それによって、すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように、主はすべての人の苦を引き受けた。そして、悔い改めを条件として、すべての人を自分のもとに導くことができるように、主は再び死者の中からよみがえったのである。人が悔い改めるとき、主の喜びはいかに大きいことか。」(教義と聖約18章10節)

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2012年02月10日

「過去の失敗を顧みず、希望を持って未来へ向かう」

Koushi01.jpg「温故知新」とは、皆さんもご承知のように論語(為政編)の中で孔子が師となる条件として、先人の思想や学問・古典を研究するように述べたものです。

私の大好きな言葉のひとつです。

すなわち歴史や思想、古典など昔の事柄を調べて研究し、そこから新しい知識や見解、そして知恵を得なさいという意味でしょう。

過去を学ぶことによって現在をよりよく生きることができるわけです。そういう意味で過去を顧みることはとても大切だと思います。

ただ、自らの過去のつまずきや失敗にとらわれて、本来の自分らしさを出せず、その内なる可能性をも活かせず、希望を持って前へ進めないとするなら、過去を顧みることはむしろよいこととは言えません。

アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは次のように述べています。

「過去の過ちから役に立つ教訓を引き出すためと、高価な代償を払って得た利益を得るためでない限り、決して過去を顧みるな。」

失敗しない人などこの世に一人もいません。つまずきのない人生なんてこの世にひとつもないのです。大切なのは、どのような心構えを持ち、それにどう対処していくかだと思います。

「世界のホンダ」を築いた本田宗一郎氏(本田技研工業創業者)は次のように述べています。

「私の現在が成功というのなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることになる。私の仕事は失敗の連続であった。」

あの発明王のトーマス・エジソンも、

「私は失望などしない。なぜなら、どんな失敗でも次への前進の新たな一歩となるからだ。」

と語っています。

過去がどうであれ、今日という日は何の染みもない真白な新たな1ページ。私たちの望みと思い次第でどのような色にも染めることができます。

道は必ず開けます!

ロングフェローの次の短い詩をかみしめながら、ゆっくりマイペースで着実に一歩ずつ「前」へ進んでいきましょう!

  過去を顧みるなかれ
  現在を頼め
  さらに雄々しく未来を迎えよ

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2012年02月08日

「家庭の守り手」

<家庭訪問メッセージ>
2012年2月号『リアホナ』

「家庭の守り手」

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910−2008年)は1995年の中央扶助協会集会で「家族―世界への宣言」を発表したとき、次のように述べています。「皆さんは家庭の守り手です。子供たちの生みの母です。子供たちを養い育て、生活の習慣を教え込むのは皆さんです。神の息子、娘を養い育てることほど神に近い仕事はありません。」(ゴードン・B・ヒンクレー「世の策略に対抗して立つ」『聖徒の道』1996年1月号,114)

それから17年近くにわたって、この宣言は、わたしたちの最も重要な責任の中心にあるのは家族と家庭を強めることであるということを力強く教えてきました。それはわたしたちが現在どのような状況にあろうと同じです。現在中央扶助協会会長会第二顧問を務めているバーバラ・トンプソンは、ヒンクレー大管長が最初に宣言を読み上げたとき、ソルトレークタバナクルにいました。トンプソン姉妹は次のように回想しています。

「すばらしい集会でした。メッセージの重要性を実感しました。また、そのときこのように考えました。『これは親に対するすばらしい導きであると同時に,大きな責任でもある』と。また、自分は結婚していないし、子供もいないから、自分にあまり関係がないと、一瞬考えました。しかし、すぐに考え直して『でもやはり自分にも関係がある。わたしは家族の一員だ。娘であり、姉であり、おばであり、いとこであり、めいであり、孫娘なのだ。わたしにも責任があり、祝福もある。なぜなら、わたしも家族の一員なのだから。たとえ家族の中で生きているのがわたしだけだとしても、それでも神の家族の一員であり、ほかの家族を強めるのを助ける責任がある』と考えました。」

幸いなことに、わたしたちは自分たちの務めを独りで果たすわけではありません。トンプソン姉妹は次のように述べています。「家族を強めるうえで最も大きな助けになるのが、キリストの教義を知り、それに従い、主に頼って助けを求めることです。」(バーバラ・トンプソン「わたしはあなたを強くし、あなたを助ける」『リアホナ』2007年11月号,117)

詳しくは末日聖徒イエス・キリスト教会公式ホームページをご覧下さい。

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